Up | 「坑夫」改め「鉱員」の意味 | 作成: 2024-02-01 更新: 2024-02-01 |
「左翼」とは,イデオロギーの一形態である。 これは,共産・共同・平等を善とする。 ひとの幸せは,この善の実現である共同体の員として生きることである。 このイデオロギーは,共同体優位の考えに転じる。 ロジックとして,共同体を守ることが個の幸せを守ることになるからである。 こうして,ひとは同調を求められ,他との同調で自分を縛ることになる。 共産・共同・平等主義は,画一主義・同調主義なのである。 ひとの大多数は画一主義・同調主義であるが,体質的にそれに馴染めない者がいる。 この者たちは,画一主義・同調主義に対抗する思想をつくり出す。 それが,自由主義・個人主義である。 自由主義・個人主義は,画一主義・同調主義の敵である。 画一主義・同調主義は,自由主義・個人主義を排斥するものになる。 件の左翼ムーブメントの文化面は,言葉狩りであった。 差別語と見なされたことばが,続々消された。 消すとは,文字通り消すということあって,辞書から無くなった。 ことばが生き残るためには,左翼イデオロギーのお眼鏡にかなわねばならなかった。 この時期は,左翼イデオロギーによる検閲時代だったのである。 そしてこの余波が,大きいままで今に至っている。 ひとは,自分の発することばが左翼イデオロギーのお眼鏡にかなわうかどうかと,ビクビクして生きている。 こんな中で,「坑夫」は使われるのが憚られることばになった。 かわりに「鉱員」を使わねばならない。 自由主義・個人主義は,「差別」されることを自分の勲章にする主義である。 自由主義・個人主義者は,リスペクトとして互いに差別し合う。 実際,攻撃として「差別」をするのは,画一主義・同調主義者である。 画一主義・同調主義は,「個は等質でなければならない」主義であるから,異質と見る個を矯正しようとしたり,排除しようとするのである。 共産主義イデオロギーに「異分子」のことばが出てくる。 それは,「粛清されるべき者」の意味で使われる。 ひとは,共産・共同・平等主義をヒューマニズムだと思っているが,間違いである。 共産・共同・平等主義がつくる体制は,弾圧体制である。 「坑夫」を改めることばは,なぜ「鉱員」か? 左翼イデオロギーにとって,ひとのよいあり方は,「員」だからである。 よって,ひとのカテゴリーを指すことばには,「員」を使っておけばまちがいがない。 「鉱員」の語は,この類である。 さて,「教師」が「教員」になると,つまらない。 「アイヌ」が「アイヌ民族」や「アイヌのひとびと」になると,つまらない。 同様に,「坑夫」も「鉱員」になるとつまらない。 つまらないとは? 自由主義・個人主義が大事とするリスペクトの意味が無くなるということである。 リスペクトの意味が無くなるのは,リスペクトするのは個に対してだが,その個が消されるからである。 左翼イデオロギーは,正義のつもりでことば狩りをしているが,それはことばが指していた者たちを愚弄する行為である。 「坑夫」の「夫」は,人 → 大 → 夫 がこの文字の構成であり,上級を表している。 実際,坑夫は技術職であり,「 坑夫の昔絵は「飯場を渡り歩く」だが,これは技能あってのことである。 その坑夫は,「員」ではない。 「坑夫」と「鉱員」は別の概念である。 左翼イデオロギーが「坑夫」のことばをよしとせず「鉱員」に改めることには,左翼イデオロギーが発達史観に立っていることも関係している。 左翼イデオロギーは,「坑夫」を惨めな存在と定めるのである。 左翼イデオロギーは,ヒューマニズム,正義の味方,を自任する。 彼らは,人の生き方に貴賤を立てることを否定する。 しかしヒューマニズム,正義をやろうとすることは,悪を立てることであり,ひとの生き方に対しては貴賤を立てることなのである。 「鉱員」は,「坑夫」の改善ではない。 自活力は,坑夫の方が上を行く。 しかし左翼イデオロギーの発達史観では,<潰しが利く>が<潰しが利かない>になることが「発達」になる。 アイヌにとって,大地震はナンボのものでもない。 現代人は,大地震に遭うとたちまち難民になり,他からの手当で生きるばかりとなる。 ここに「発達」の意味を見るべし。 |