Up | スカベンジャーたち | 作成: 2023-11-27 更新: 2023-11-27 |
生物の排泄物や屍体は,土や大気に返る。 土や大気に返るのは,土や大気に返す仕事をしている者たちがいるからである。 この者たちを,スカベンジャーと謂う。 スカベンジャーはなぜ現れたか? 生物は,自分が生きられる養分を開拓する存在だからである。 排泄物や屍体に対しては,それを養分にして生きようとする生物が現れる。 これが,スカベンジャーである。 スカベンジャーも,排泄しそして死ぬ存在である。 よって,スカベンジャーのうちにも,排泄物・屍体利用の階層が出来上がる。 人間にも,スカベンジャーとその階層が存在している。 ただし,その存在を具体的に捉えるには,調査という作業が要る。 それは簡単な作業ではないので,調査として成ったものは貴重である。 NHK の 2023-11-25 放送の番組「人新世 ある村にて」は,プラスチック廃棄物のスカベンジャーたちの調査 (取材) であった。 もちろん,その番組は「プラスチック廃棄物のスカベンジャーたち」のような物言いはしない。 「プラスチック廃棄物のスカベンジャーたち」は,科学をするときの言い回しである。 科学は本質直視・構造直視が立場なので,その物言いは露骨になる。 番組の内容は,つぎのように要約される: 先進国が謳っている「クリーン」は,どこかが帳尻を合わせている。 「二酸化炭素を出さない」は,どこかが帳尻を合わせている。 この「帳尻を合わせる」の意味がわかるためには,物理学の「エネルギー保存則」や化学の「科学反応式」を知っている必要がある。 先進国は「クリーンエネルギー」「脱炭素」のことばに浮かれている 先進国は,「倫理」というイデオロギーを発達させてきた。 倫理は宗教と同じで,その効用は現実を忘れさせることである。 先進国は,倫理を以て,スカベンジャーを底辺とする人間格差を否定する。 同時に,実生活を以て,この人間格差を肯定する。 先進国とは,大量生産・大量消費の肯定のことである。 GDP は拡大し続けねばならず,賃金は上昇し続けねばならない。 そして大量生産・大量消費は,大量廃棄である。 大量廃棄は,スカベンジャーが大量に現れてくれることを求める。 かくして,スカベンジャーが存在するという人間格差は,絶対なのである。 先進国は,これまで後進国をスカベンジャーにしてきた。 しかしここに,後進国が自国の「クリーン」を考えるようになってきた。 今後は,<先進国の廃棄物投棄の場所>の役割を返上するようになっていく。 さて先進国は,どうする? スカベンジャーを後進国から自国に呼び寄せることになる。 そしてそれができるための法整備をすることになる。 これは,先進国が移民の国になるということである。 先進国が移民の国になることは,必然である。 国粋主義者は移民排斥を唱えることになるが,それは「移民」の意味を知らないからである。 移民の国にならないとは,大量廃棄物が露出するか,そうでなければ自国民の一定割合をスカベンジャーに固定する,ということなのである。 政府は,「技能実習」制度を「特定技能」制度に移行した。 ひとはこれを「人道的配慮」みたいに思っているが,それはプロパガンダがうまくいっているということである。 本質はそうではない。 「特定技能」制度は,日本が移民の国になるための法整備である。
従来の 「特定産業分野」として受入業種を定めているが,実際はどの業種も含まれるようになっている。 さらに,「特定技能ビザ」は「ビザ1号・2号」の便法がつくられていて,更新によって日本に永住できるようになっている。 よって永住権取得の道も開けている。 ここで「スカベンジャー」には広い意味がつくことに注意。 「特定技能」制度では老人介護職に移民がつくことを当て込んでいるが,老人介護職も本質は「スカベンジャー」である。
「老人介護」は,廃棄物処理である。 棄老ではなく「介護」を択ばせ,「老人介護」が廃棄物処理であることを直視させなくしているものは,倫理イデオロギーである。 生物一般はこの倫理イデオロギーと無縁であるので,「老人介護」というものは存在しない。 移民の国は,移民がだんだんと国の主役になっていく。 自国民も移民も能力はいっしょだからである。 スカベンジャーに留まる者がいる一方で,政治経済の中央へと進出する者がどんどん出てくる。 彼らは,「格差」がバネになっているので,覇気が自ずと高くなるのである。 こうして,スカベンジャーになるのに,自国民・移民の別は関係なくなる。 すると今度は,「移民に仕事を奪われた!」を叫ぶ反移民キャンペーンが起こる。 これの日本の先進国は,欧米である。 日本の将来として,よくよく観察すべし。 後進国を利用できなくなった先進国は,<先進国─後進国>構造を自国の中につくることになる。 それは,社会を格差社会にしていくということである。 しかし大量生産・大量消費は,もう成り立たない。 大量廃棄が こうして先進国は黄昏れる。 先進国の黄昏は,構造的に必然なのである。──盛者必衰。 |