Up <並>か<変>か──どちらを択ぶ? 作成: 2020-04-30
更新: 2020-04-30


    いま,東京・大阪・宮城等のグローバリスト首長が,「9月入学」を実現しようと声を上げている。
    ふつうは「このドタバタのときに」となるのだが,彼らは「ドタバタのときだからこそチャンスだ」と考える者たちである。

    グローバリズムは,西欧並をよしとするイデオロギーである。
    漢字・かなをやめてローマ字にする,日本語をやめて英語とかにする,という論はずっとある。

    グローバリストは,<西欧的>で競争したい者たちである。
    しかし彼らは,外に出てこれをやってくれればよいのだが,内にいて<日本的>を無くしていこうとする。
    ここが,彼らのがやっかいなところである
    しかも日本の西欧指向は,<自虐>がこれの片方の面であるところに,嫌味がある。

    強調するが,「9月入学」は,「ドタバタ」は論点にならない。
    論点は,「9月入学」で無くなることになる<日本的>は,無くなってかまわないものか?──である。


    大震災後の宮城は,「まちのつくり直し」を復興策にした。
    東京焼け野原でも,復興策に「まちのつくり直し」が挙がった。
    しかしこれは行われず,建物・施設の再建が復興の形になった。
    まちの作り直しをやっていたら,東京はいまよりずっと機能的で利便性の高い都市になっているかも知れない。 一方,これをしなかったおかげで,東京には江戸 (歴史) が残っている。

    いいとこどりは,できない。
    文化は歴史であり,ひとはこれの要素の一つに過ぎない。
    文化は,ひとがつないでいくのではない。
    わたしは大学の移転を2回見ているが,大学が移転すると大学はまったく別ものになる。


    <西欧的>になることが,よいことか?
    国の戦略としては,独自──普通とは違う──を以て自国を他から差別化するというのもある。
    <並>を択るのではなく,<変>を択る。
    実際,日本が他の国の人から評価されるときは,並でないことが評価されるのである。 西欧以上に西欧的であることが評価されるのではない。

    「グローバル」と似て非なるものに「インターナショナル」がある。
    グローバルは,<みな同じになる>である。
    インターナショナルは,<それぞれが違うままで付き合う>である。