Up | ウィルス存在観念の支離滅裂 | 作成: 2020-06-02 更新: 2020-06-02 |
こうして,荒唐無稽・支離滅裂な存在論が形成される。 生徒に新型コロナ感染が見つかった学校で,教員が生徒の触れたかも知れない物を雑巾で拭く。 気持ちは,「アルコール消毒」である。 つぎのような思いが浮かばない:
「可能性のある場所のいかほどを拭いていることになるのか」 「拭き方はこんなもんでいいのか」 「ノートの頁に挟まったウィルス(?)は,いまもそのままか」 「そんな無駄なことはやめなさい」の声がかからないうちは,ずっとこのままである。 動物カフェで,動物の毛を拭く。 気持ちは,「ウィルス=ゴミ」である。 電車が満席に戻ったのに対し,座席間に板を立てろと主張する。 気持ちは,「ウィルス=直撃弾」である。 そして以上を,正しい行動・もっともな考えとして報道する NHKニュース。 この狂気を狂気として取り上げる者はいない。 「専門家」は,この狂気を煽り助長した張本人であるから,いっそう出る幕はない。 もっとも,ひともそんなに馬鹿ではないから,薄々おかしさに気づいてくることになる。 生徒の触れたかも知れない物を雑巾で撫でている教員も,自分のしていることの無意味は感じているはずである。 定めし,「これほどまでにやってます」をただ見せるためにやっている。 ──もっとも,確信犯でこのブラックジョークを演じているなら,それはそれで底意地の悪さ/ひねくれということになるが‥‥ 動物カフェで動物の毛を拭く店員も,定めしこれである。 電車の座席間に板を立てろと主張する者──これはどうか。 これは,どうにも救いようがない。 そして「救いようのない○○」をつくることに日々一生懸命なのが,NHKニュースというわけである。
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