Up | 「コロナ抗体 1000人に1人」 | 作成: 2020-06-17 更新: 2020-06-17 |
ひとはこの記事を読んで,「識者」の言う「第2波への備えが必要」を受け取る。 そして,「自粛をまだまだ続けていかねば」となる。 「識者」とは,「自粛」を終わらせないようにする者のことである。 ひとは,この記事の間違い・騙しに気づかない。 つぎは間違い・騙しである:
先ず,「抗体検査キットが<抗体あり>を示す・示さない」は,「抗体が有る・無い」ではない。 即ち,抗体が有っても検査キットが「無い」を示すことがあり (「感度が悪い」),抗体が無くても検査キットが「有る」を示すことがある (「他のウィルス抗体を拾ってしまう」)。 抗体検査キットは,「たかだか検査キット」である。 つぎに,「抗体が有る・無い」は,「過去に感染したことが有る・無い」ではない。 即ち,過去に感染したことが有っても,抗体が無いことがある。 どういうことか。 過去に感染したことによる「抗体が有る」は,程度問題である──0からのグラデーションである。 体質によって,抗体が僅かしかできないことがある。 抗体が減って僅かになることもあり得る。 そしてその「僅か」の類には,実際上「無い」に等しい「僅か」がある。 学校数学では「必要条件・十分条件」というのを教える。 しかし,教師自身この意味がよくわかっておらず,このような教師から授業を受けることになる生徒も当然わからないことになる。 上の記事は,「必要条件・十分条件」がわかっていない者をひっかけるロジックに満ちている。 一般論としては,つぎも騙しである:
2種類の検査試薬でいずれも陽性の場合に「抗体あり」とした」 検査対象を
検査試薬甲と乙を用いて検査したときのつぎの二つの場合を考えよ:
場合1, 2とも,同じ結果「陽性は,A1, ‥‥, Am」になる。 しかし「2つの試薬で一致した陽性は正確」の印象が大きく違う。 そしてこの方法だと,試薬の数を増やすほど「抗体あり」が少なくなる。 これは,学校数学では「論理和・論理積」という主題になる。 「正確」の取り方には,論理和・論理積のいずれもあり得る。 桜の木がこの山に何本あるかを知ろうとする場合,一人よりも大勢でやった方が,見落としを少なくできる。そしてこのときのカウントは, 「積──全員がマークした」ではなく「和──だれかがマークした」を用いる。 そして,つぎの違いについて:
これが示すことは, 「国や個人の感染予防策がうまくいった」ではない。 これが示すことは, 「抗体検査は,感染したことの有無を検出するところまでは全然行っていない」である。 これが示すことは, 「「感染」は,感染・免疫学にはまだまだ全然わからないことだらけ」である。 |