Up | 「読売新聞社提言 : 感染症に強い社会築け」 | 作成: 2020-06-22 更新: 2020-06-22 |
「経済・社会活動を様々な形で止めた」のは,新型コロナウィルスではない。 新型コロナ情報に舞い上がり,思考停止し,妄動した者たち──人間──である。 そして読売新聞のようなマスコミが,この中心にしっかり据わっている。 「馬鹿な戦争」の中心には,つねに馬鹿な戦争を煽るマスコミがある。 よって,彼らに口幅ったい物言いをさせるわけにはいかないのである。 このような者たちは,つぎの馬鹿な戦争でも同じことをする。 「900人を超える死者」は,日常的リスクのうちである。 盲点でもなんでもない。 「感染症に強い社会」とは,員個々が感染症の知識をもっている社会である。 員が感染症の情報を「有識者」やマスコミ任せにする社会は,「有識者」やマスコミにたやすく騙されてしまい,かんたんに「馬鹿な戦争」を始めてしまう社会である。 「国家の非常事態には、政府が前面に立って総合的な戦略を示し、対処すべきだ」 この論の間違いがわかるだろうか。 「国家の非常事態」には,「政府も妄動する」が含まれるのである。 政府の中身は,人である。 ひとが妄動する時節は,政府の人間もこのなかに入ってしまうのである。 だから「馬鹿な戦争をやったもんだ」は繰り返されるのである。 実際,政府の人間になったつもりで考えてみるとよい。 自分のわからぬことで指導責任を負わされても,慌てるばかりである。 そして「有識者」を頼り,彼らに騙されることになるのである。 この構造が変わらない限り,何も変わらない。 そして,読売新聞の提案は,「無駄な公共事業」の提案と同じである。 この内容は,埋まらないからである。 つくったはいいがものの役に立たず,維持に金がかかるばかりの<箱物>である。 「強さ」とは,「剛」ではなく「柔」である。 感染症は,対立するものではなく,受け入れるものである。 ひとは,小さい者との共生で生きている。 ひとは,このことを知らない。 知らないのは,知らないように導かれているからである。 導いているものは,医療・衛生産業利権である。 実際のところ,新型コロナは,「せいぜいインフルエンザ並み」どころか「風邪 (ヒトコロナウィルス感染症) 並み」になってしまいそうな情勢である。 数値がこれを示してくるのである。 数値は隠せない。 ただひとは,この数値を見に行かない。目に入っても読まない。 新型コロナが怖いものでないと都合が悪くなる者たちによって,洗脳されているからである。 「新型コロナ」をこの段階で読売新聞に総括させるわけにはいかない。 「新型コロナ」は,「馬鹿な戦争をやったもんだ」の形で総括されるのである。 勘違いしてはならない。読売新聞は総括される側である。 馬鹿な戦争の主要な煽動者として総括されるのである。 |