読売新聞, 2023-01-28
新型コロナが「ただの風邪」であることが,やっと公認である。
ただの風邪が「ただの風邪」と認められるまで,丸3年の空騒ぎを要した。
「パンデミック」を煽ってきたマスコミや「専門家」,これらに追従する行政,と愚劣のオンパレードであったが,結局は,他愛なく洗脳され高揚してコンプライアンス競争に躍起になり,自分で自分の首を締めることに一生懸命になった大衆が,いちばん<たちが悪い>ということになる。
「馬鹿な戦争」が終わっても,「馬鹿な戦争をやったもんだ」になるまで時間がかかる。
「馬鹿な戦争」に加担してきた者からは「馬鹿な戦争をやったもんだ」のことばは出て来ないからである。
「馬鹿な戦争」に加担してきた者たちは,自分を合理化することに腐心する。
「馬鹿な戦争をやったもんだ」になるには世代交代が要るのである。
そして「馬鹿な戦争をやったもんだ」になったときも,それが将来の教訓になることは無い。
同じことが繰り返される。
どうということのない出来事をマスコミが危機と煽り,「専門家」がこれに加勢し,そして残りが危機意識の高さを「正義」だとして,正義パフォーマンスを競争する。
大衆は,変わらない。
大衆は,<相変わらず>であることを以て大衆なのである。
それにしても,「新型コロナ」は日本人の国民性を現すのに,ずいぶんと役に立った。
何と言っても,世界の中でずっとマスクをつけ続けるのが,日本人なのである。
なぜ,ずっとマスクをつけ続けるのか。
日本が村社会だからである。
日本人の<生きる>は,他と同調することなのである。
同調は,一旦同調が起こると,ずっと続くことになる。
同調から外れることは同調でないからである。
日本人は,マスクを自分からは外せない。
よって,「マスクはしなくてよい」を政府が言わねばならない。
日本人は,つまらないことでも,同調から外れることができないのである。
しなくてもよいようにするには,政府が「しなくてもよい」を言わねばならない。
「新型コロナ」では,地方行政がこれのよい例になった。
国からの交付金支給に対しては「地方自治」を唱える地方も,民を指示する立場に立たされると,政府が指示を発するすることを求める。
同調主義は,共同体主義・全体主義である。
日本人は,個人主義の意味の自由主義を知らない。
こうして日本人は,「馬鹿な戦争」にいちばん相性がよい国民の部類である。
鬱陶しい話になってきたが,天網恢々疎にして漏らさず。
同調主義が改まることに向かう状況が,進行しているはずである。
おそらく「少子化」はその一つである。
少子化の日本は,海外からの移住者を呼び込む。
そして彼らには,日本人の同調主義は無縁のものである。
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