Up | 肺微生物叢 | 作成: 2022-02-26 更新: 2022-02-26 |
専門家・医者を何でも知っている者のように思っているためである。 医学薬学の歴史は,珍妙な考え・処方の歴史である。 珍妙な考え・処方は,いまも変わらない。 しかしどの時代も,ひとはその時の医学薬学を絶対だと思う。 珍妙は,後からわかるというものなのである。 専門家はいい加減な者たちであり,医者は物知らずである。 彼らは,ひとが己の健康・命を托すような者たちではない。 「新型コロナ」に際しては,先ずこのことを知ることが第一である。 専門家・医者を指して「いい加減・物知らず」と言うのは,誇張して言っているのではない。 新型コロナの医療は,肺のことを知らなければ話にならない。 肺がどんなものであるかを知っていることは,基本中の基本である。 しかし,専門家・医者はまさにこの基本を欠く者たちなのである。 もっともこれは,別に意外なことではない。 基本的なことは,決まってスルーされる。 ひとのアタマは,「基本を押さえていない」に気づけないようにできているのである。 基本を問われると,それを考えていなかったことに気づき,たじろぐばかりとなる。 現代の専門家・医者の珍妙な「肺」論は,「肺は無菌」である。 彼らによると,「肺に侵入しようとする菌は,鞭毛が外に追い出し,ファージ細胞がこれを食う」となる。 彼らによると,無菌が肺の正常であり,肺が微生物に侵入されることが病気である。 彼らはこの考えを基にして,医療や薬を考え出す。 珍妙の上には珍妙が立つのみ。 繰り返すが,彼らはひとが己の健康・命を托すような者たちではない。 肺は,無菌では無い。 それどころか,その全く逆である。 肺は,上皮に常在微生物叢が形成されている。 肺の正常は,上皮が<生き物たちのうごめくジャングル>になっていることである。 消化器官の上皮常在微生物叢から類推すれば,肺に棲む生き物は,小さい方のウイルス・細菌からはじまって動物にまで及ぶことになる。 専門家・医者に同情すべき点があるとすれば,《健常者の肺の常在微生物叢を調べるのは,簡単なことではない》というところである。 しかし「肺は無菌」の思い込みを免れていれば,少しはましになっていたはずである。 要は,《調べるつもりが無ければ, 無知に滞まる》なのである。 「肺常在微生物叢」の知識をもつとき,呼吸器医療は様相がガラッと変わることになる。 それは,180º 転換することになる。 即ち,常在微生物叢の機能を支援するというものになる。 ひとの体は,細胞と共生生物のコロニーである。 このコロニーは,生態系である。 「健康」は,この生態系がうまくいっている状態である。 ひとがこの生態系にちょっかいをかけてよくなることは,先ず無いと思った方がよい。 この生態系は複雑系であり,その機微は人知を超える。 新型コロナに対しては,この生態系の機微を頼みにしておればよく,それ以上を求めると必ずしくじる。 新型コロナによる死者は,医療・薬の不足によって死んでいるのではない。 医学薬学の不見識が招いた「現代病」──免疫疾患──で死んでいるのである。 免疫疾患は,医療・薬という名の,ヒト常在微生物叢の破壊が原因である。 ひとは,己の甲斐性で,己の共生生物を損なう事共を退けようとすべし。 自己免疫疾患になっている者は,既に手遅れとなっている者でなければ,いまからの挽回に努めるべし。 |