Up | カルチャー : 要旨 | 作成: 2020-08-26 更新: 2020-08-26 |
<災難>に遭うと,つぎはきまって「新たな日常」キャンペーンになる。 津波のときは,「高い堤防」とか「高台移転」が,キャンペーンされる。 そして新型コロナは,「在宅勤務」とか「玄関開けると洗面台」というわけだ。 「新たな日常」をキャンペーンする者は,「新たな日常」を示さねばならないと思う政治と,<災難>を商機にしようとする経済の二つである。 ちなみに,メディアは後者である。 ひとは,この種のキャンペーンにすんなり乗ってしまう者と乗らない者に分かれる。 前者は,「命にかかわる」を<権威>が警告しているので命にかかわると定める。 後者は,<反権威>の傾向があって,命にかかわるかどうかを自分の生活感覚で定めようとする。 カルチャーは,前者である。 後者は,サブカルチャーをつくる。 新型コロナの「新たな日常」キャンペーンは,つぎのカルチャーと結んでいる:
新型コロナの「新たな日常」キャンペーンが顕すカルチャーとサブカルチャーの対立は,都市型と自然型の対立である。 <異物から離れる・異物を拭う>は,都市型である。 <土を離れコンクリートに棲む>と同類である。 カルチャーが<都市型>になるのは,日本は都市 (大都市と小都市) で占められているからである。 こうして,つぎが新型コロナが顕すカルチャーの対立図式になる:
サブカルチャー = 反権威 = 自然 = <異物にまみれる> 学界も,「主流対反主流」として,この対立構造になる。 生物進化の智慧は,<異物にまみれる>の方である。 <異物から離れる・異物を拭う>は,途轍もなくコストのかかることであり,そして実際,成らぬことである。 そこで,<異物にまみれる>の生き方ができるようになることが,進化の方向になる。 さらに,<異物にまみれる>は,<異物にまみれる>の積極的活用へと進化する。
ヒトも,このように進化してきた。 しかしひとはこのことを知らない。 そして<異物から離れる・異物を拭う>のカルチャーをつくる。 <異物から離れる・異物を拭う>のカルチャーは,生物の自然に逆らうものである。 自然に逆らえば,バチがあたる。 簡単な例が,「現代人に顕著」な類のアレルギー症・アトピー症。 しかしカルチャーは,正のフィードバックをダイナミクスにして,強まるばかりとなる。 <権威>が,「新型コロナは2, 3年は続く」を言う。 ひとはこれを受けて,マスクを着け続ける。 そして,服を着ないという選択が無いのと同じに,マスクを着けないという選択が無くなる。 マスク装着が,公衆マナーに加わるのである。 ──「どんな感染症が潜んでいるかわからない,それに備えるのがマナーだ,マスクはいつも着けているようにするものだ。」 大衆の絵図は時代ごとに特徴があるが,令和の絵図の特徴は,どの顔もマスクが装着されていることである。 |