Up 国の借金を小さく見せようとする姑息な用語 作成: 2020-05-29
更新: 2020-05-29


    収入を上回る支出は,借金で賄う。
    国の場合は,「金を借りる」は「金を造る」である。

    「国の借金」ということばは,ミスリーディングである。
    国に金を貸した者は,いないからである。

    こう言うと,定めしつぎのことばが返ってくる:
      「国債を買った民間の者は,国に金を貸した者である。
       実際,国債は借用証なのだから。」
    しかし,金に色がついているわけではない。
    実際,民間が買った国債の償還は,国債を日銀に引き受けさせて造った金を以てするのである。
    民間にとって国債は「資金運用」の意味があるが,国にとって国債を民間に回すのは,今日では既に余計なことなのである。


    政府は,「金を造る」でやっている財政に,引け目を感じている。
    これまでただ造ってきた金の高を,なるべく低く見せようとする。
    国の債務は,国債の発行高・残高で示される。
    そこで,政府は国債の発行高・残高をできるだけ低く見せようとする。

    これまでやってきている方法には,大きくつぎの二つがある。

    一つは,「国債」に色々種別をつくって,目くらましをするというものである。
    例えば,国債即財政赤字と見られないために,「赤字国債と建設国債」のような用語をつくる。
    国民は,こんなのでも簡単に騙される。

    もう一つは,「財政投融資」の枠をつくることである。
    財政投融資は,「財政投融資特別会計国債 (財投債)」という名前をつけた国債で金を造り,この金を民間に融資するというものである。
    この名前によって,国債は「財投債」とそれ以外の国債──「普通国債」──の二種になる。
    これも,目くらましである。
    国債としてこの二つを区別するものは,何もない。
    政府は,「この融資は将来返済される」を理由に,財投債を「国の借金」に含めない。
    政府発行の資料に載っている「国の債務──国債残高」は,「普通国債」残高である──「財投債」分を除いている。
    もちろん,騙しである。


    国の債務──国債の発行高・残高──を低く見せようとする努力は,無駄なことである。
    しかし人間とは,このような姑息に()まっていくものなのである。