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読売新聞, 2020-08-04
「感染者狩り」横行
実名特定 中傷エスカレート
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感染したのは、男性の10歳代後半の子供だ。
普段は隣県の都市で暮らしているが、4月に帰省した際、発熱があり、感染が判明。
その当日、男性の居住県は「県外から来た感染者」の1人として匿名で発表した。
しかし、発表前に〈○○地域で感染者ってほんと?〉などとネット上でうわさが広まり、東海地方向け
のネット掲示板やSNS上には〈うちの県にコロナを持ってきた〉〈このパカな感染者は誰なんだ?〉と、子供や家族を特定しようとする書き込みも現れた。
県の発表から数時間後。〈○○病院(に入院)って噂がある〉などと投稿され、子供や男性がまもなく特定された。
その後は一部を伏せた実名とともに、2人を中傷する書き込みが相次いだ。
〈バイオテロリスト〉〈世の中から消えてほしい〉
その頃、政府は県境を越える不要不急の移動自粛を呼びかけていた。
投稿の内容は敵意をむき出しにしたものへとエスカレートし、デマもあふれでいった。
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家族の生活は一変した。
「コロナ持ち込むな。出て行け!」。
自宅の留守電には2人を罵倒する言葉が吹き込まれていた。
家族の感染はなかったが、なじみのスーパーや美容院から、「もう来ないでほしい」と遠回しに告げられた。
外に出られなくなり、一時は食料や生活用品を親族に届けてもらって過ごした。
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県境またぎ 標的に
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「感染者狩り」の被害者は、外出自粛要請下で都道府県境を越える移動をした感染者やその家族らが多い。
3月末には、クラスターの発生した京都府の大学のイベントに参加していた女子学生が帰省先の富山県で県内最初の感染者となり、実名や住所が出回った。
5月上旬には、実家のある山梨県から高速パスで東京都内に戻った感染者の女性に対し、〈家族も抹殺されて当然〉などといった非難がSNSにあふれ、本人とされる写真も掲載された。
7月29日に最初の感染者が出た岩手県では、
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県内初確認となった男性の勤務先企業が感染をホームページで公表すると、2日間で100件以上の電話やメールがあり、中には「感染した社員をクビにしたのか」などと執拗に迫るものもあったという。
ネット上には「たたかれて当然」といった書き込みもあり、
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以上は,「けしからん」「あってはならない」の話ではない。
日本人の「民度」の話である。
日本人は,こういうものなのである。
実際,「自粛」非協力者を吊し上げようとするマスコミや都道府県知事は,この「民度」を当てにしているのである。
彼らは自分の手で非協力者を吊し上げられるわけではない。
非協力者を吊し上げるのは,彼らの声に応じる民である。
「村八分」は,この「民度」を表現することばである。
「村八分」は,村人の<正義>である。
上の記事は,日本人の<正義>の話なのである。
実際,この正義は,題材を変えて何度も現れる。
例えば,癩患者とその家族に対する仕打ち。
ハンセン病家族訴訟は「国の隔離政策で差別を受けた」とするが,そうではない。
隔離政策は,むしろ
〈世の中から消えてほしい〉
〈家族も抹殺されて当然〉
からの保護の機能を見るべきものである。
よくよく考えよ。
差別は,隔離政策の後に始まったのではない。
差別が先ずあり,それからずっと後になって隔離政策が来るのである。
──ちなみに,この種の順序の転倒は,<イデオロギー>の常套である。
日本は,村社会である。
村を危うくしそうに見えるものに対して,容赦がない。
日本人は,異形に対してはこれを嫌悪し排斥するのである。
村社会の正義である<村の外の人間を忌避>は,<村の外の生き物を忌避>に通じる。
新型コロナに対する忌避感情は,これである。
ひとは新型コロナを忌避して当たり前と思っているが,これは村社会の思考回路である。
村社会の思考回路からは,どうしたら脱けられるか。
科学することである──科学することのみである。
そして,新型コロナに対する科学の当たり前は,ウィルスへの共感,そしてウィルスとの共存である。
日本人は,村の習慣に自足している。
科学に向かおうとしない。
日本人で籠もっている限り,村社会の思考回路から脱ける契機はない。
ずっと,村の<正義>のことばを発し続ける:
〈世の中から消えてほしい〉
〈家族も抹殺されて当然〉
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