「新型コロナワクチン」は,人工mRNA の注射である。
行政にこれの実行を教唆してきた者たちは,自分自身納得できる安全説を用意しておくことになる。
このとき彼らが用意する安全説は,つぎのようなものである:
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峰 宗太郎 (2021)
ワクチンの長期的な安全性——DNAに影響を及ぼすことはない
mRNAについて、長い間体内に残る、あるいはDNAに何かしらの影響を及ぼすのではないかという疑問もよく耳にします。しかし、いずれも心配はありません。
mRNAは体内に入りスパイクタンパク質を産生した後、急速に分解されます。
時間にして約20分後には物質としてのRNAは半減すると考えられており、この点に関しては動物実験も実施されています。
実験は、発光するタンパク質の情報をmRNAに乗せて投与し、投与後どの程度の間光っているかを確かめるという内容です。
結果は、投与から0.2日ほどで体中が光るようになった後、急速に発光は収まっていき、投与から10日後には検出されなくなるというものでした。
こうした実験からも、mRNAは人間の場合でも恐らく10日程度しか体内に残らないと予測されます。
また、体内でmRNAをDNAに変換するためには特殊な酵素が必要です。
この酵素は基本的にヒトの体にはほとんど現れることがなく、テロメラーゼなどの例外はあるものの、それを考慮する必要はまずありません。
仮にmRNAをDNAに変換する酵素が現れたとしても、mRNAから作られたDNAがさらに別のDNAに組み込まれるという現象も、特殊な酵素(インテグラーゼ)がなくては起こり得ません。
そのため、mRNAワクチンの接種によってDNAに何らかの影響を及ぼすというような懸念はないのです。
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彼らには,これで論理が立っていると思えるらしい。
しかし,これはぜんぜん論理になっていない。
論理とは,「命題Aから命題Bを論理敵に導く」の「論理」のことである。
このとき「命題Aにとって命題Bは必要 (BはAの必要条件))」「命題Bにとって命題Aは十分 (AはBの十分条件)」と言う。
立論するとは,命題の間の「必要・十分」の関係を明証するということである。
「mRNA の発光が消えていく」, よって「mRNAは恐らく10日程度しか体内に残らないと予測される」, よって「DNAに影響を及ぼすことはない」──の論法について:
そもそも,mRNA の逆転写によって DNA がつくられたら,mRNA は体内に残っている必要はない。
「mRNAをDNAに変換する酵素は体内に無い」, よって「DNAに影響を及ぼすことはない」──の論法について:
これは,「mRNAをDNAに変換する酵素は,自分が知っているもの (「インテグラーゼ」(註)) に限れば,体内には無いと自分は思っている」と言っているだけである。
実際,ヒトDNA の中のレトロトランスポゾンを利用して DNA に取り込まれる RNAウイルスが存在するとの報告もある ( ウイルス内在化)。
「新型コロナワクチン」の安全説は,このようなお粗末なロジックのものである。
しかし大衆は,「専門家」から「安全」と言われたら,安全だと信じるのである。
註:
生物学は,「モデル生物」というものを設ける。
生物学の各主題に対し,その主題を分析しやすい構造になっている生物をピックアップし,モデル生物にする。
ここに,ある研究者がつぎの発表をした:
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モデル生物Aでは,mRNAから作られたDNAがさらに別のDNAに組み込まれるという現象が認められ,そしてこの組み込みではインテグラーゼの存在が必要条件になる」
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このときの「必要条件」の結論は,「実験群・比較群」の方法による。
これに対し上に引用した論は:
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mRNAワクチンの状況ではインベルターゼが存在していないので,mRNAからDNAが仮につくられてもさらに別のDNAに組み込まれることは無い」
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こんな論になるのは,与件が<インベルターの存在がを必要条件であると結論した実験の与件>とは違うということに,論者の考えが及ばないためである。
そして考えが及ばないのは,「必要条件」の意味がわかっていないためである。
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