Up ひとはとっくに感染している : 要旨 作成: 2021-06-07
更新: 2021-06-07


    「新型コロナワクチン」は,接種することが正義になる。
    接種しないことでこの正義に抗うことになる者は,大なり小なり,接種しないことの理論武装を強いられる者になる。

    現前に多いのは,危険論──「新型コロナワクチンは危ない」──である。
    しかしいちばんに立てることになる論は,無用論である。

    無用なのに敢えて接種を受けようとする者については,「趣味・嗜好」で説明することになる。
    このとき,「その趣味・嗜好は危ない」を言う。
    これが危険論の出る幕である。


    「新型コロナワクチン」は,なぜ無用か。

    ワクチンは,体にウィルスを覚えさせるものである。
    当該ウィルスの Spike を,抗体を誘導する抗原として,細胞の中に人為的に現す。
    「新型コロナワクチン」では,Spike遺伝子 を mRNA にして,細胞の中に注入する。
    細胞は,これをレシピにして Spike を生産する。
    Spike の出現は,Spike を抗原と定める抗体を誘導する。
    こうして,体が, <Spike の出現に対しこれの抗体を発動する体>になる。
    これが,この場合の「体がウィルスを覚える」である。

    ところが新型コロナは,いまはもう感染が尽くされている。
    ひとは感染を済ませて,その体はウィルスを覚えている。

    感染したウィルスの記憶は,ずっと残る。
    「抗体が残っている期間は‥‥」の物言いを聞くことがあるが,これは間違い。
    定量装置は,抗体が大量・濃密の場合に反応するのであって,そうでなければ反応しない。

    ひとは新型コロナの感染を既に済ませており,体はウィルスを記憶している。
    ゆえにワクチンを打つことは無用なのである。


    無用なものを体に注入して何が得られる?。
    得られるものがあるとすれば,害しかない。
    何もなければ御の字というものである。