Up 「一生」 作成: 2015-01-01
更新: 2017-11-08


    「別個」は,「別々の一生を生きる」として想念される。
    よって,<個>を措定できる生物種は,「一生」を考えられる生物種である。

    このように言うのは,「一生」を考えられない生物種が存在するからである。
    実際,「一生」は,生物一般の含蓄ではない。


    単細胞生物は,細胞分裂して増殖する。
    細胞分裂は,一つの個体が二つの個体になることである。
    このとき,もとの個体の「一生」は?
    細胞分裂が「一生」の終わりか?
    分裂した細胞に,「一生」が接がれているのか?

    樹Aから枝を折り,その枝から成樹を育てる。 枝を折られても,AはAのままである。 即ち,この場合,Aは継続していると見なされる。
    樹Aを株分けする。 Aは,これで一生を終えたのか? あるいは,株分けされた個々を分身として生き続けているのか?
    (Aが残る枝折りとAが残らない株分けの間は,連続している──区画できない!)

    有性生殖生物の卵子は,母体の分裂である。
    卵子は,精子に依らずに,<刺激>で卵割を起動できる。
    子は,新しい一生の開始か?それとも,親の一生が接がれているのか?
    (細胞分裂による増殖と単為生殖の間,単為生殖と有性生殖の間は,連続している──区画できない!)

    上に出て来た問いは,答えの無い問いである。
    答えが無いのは,「一生」の概念がそもそも立たないところでの問いだからである。