この「イデオロギー概論」では,イデオロギーとは何かを簡単に論じる。
今日,「イデオロギー」は既に死語である。
死語ではあるが,ひとは<イデオロギーに嵌まる>という生き方をしている。
語が無くなるということは,その語に託した概念が無くなるということである。
こうしてひとは,イデオロギーに嵌まっている自分・集団を,対象化できない。
これは即ち,自分・集団を対象化できないということである。
イデオロギーは,<系>程度に構成された信念を指す。
「理屈っぽい迷信」といったものである。
ただし,イデオロギーは「正義」の信念である。
「正義」付きだということで,迷信一般と区別される。
イデオロギーは,先験的に判断できるものとして正義を立てる:
「正義は,子どもだって分かる」
「懐疑論を言い出す者たちは,頭がおかしい」
イデオロギーの実践は,正義の実現である。
そして正義の実現は,悪の退治である。
こうしてイデオロギーは,悪にされてしまう者にとっては,ひどく迷惑・厄介・怖いものになる(註)。
実際,イデオロギーの「悪の退治」は,極まれば大量虐殺に進むといったものである。
イデオロギーの「悪の退治」は,容赦ない。
悪は,存在してはならないものであり,殲滅するのが当然となるものだからである。
この容赦の無さは,イデオロギーの契機が<憎悪>であることの現れでもある。
「ルサンチマン」というが,これも今日では死語である。
ひとはイデオロギー (迷信) に嵌まり,そしてイデオロギー (迷信) が集団を動かす。
個・集団は何でこうなのか?
これを疑問に思った者たちは,知の分析をしないではおれない。
カントやハイデッガーの論考などは,こんなふうに読まないと読むに堪えないだけとなる。
註. 「正義の実践」アジテーションの例:
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橋爪大三郎 (2007)
「環境危機」の黒雲が、水平線の向こうにはっきり姿を現した。
嵐は遠くない。
およそ20年間続いた、ポスト冷戦の時代は、これで終わる。
環境危機の時代が、いま幕を開けるのだ。 ‥‥‥
温暖化がなぜ、危機なのか。
理由は明快だ。アル・ゴア元副大統領が警告する通り、やがて南極とグリーンランドの氷が融け出して、海面が上昇。
世界の主要都市は海面下に沈む。
海流もかき乱されて、各地に異常気象をもたらし、農業も破壊的な影響を受ける。
人類文明はとりかえしのつかない打撃を被ることになろう。 ‥‥‥
ポストモダンは、大きな物語の終わりだと言われる。
冷戦が終結し、人びとを縛りつけていたイデオロギーが効力を失った。
大きな物語を失った人びとは、めいめいが自分の価値観に従って、自由に生きることを強いられ、多元的な相対主義の海のなかに放り出された。
自由と豊かさが、同時に制約と苦しみでもあるような、無重力のような空間がポストモダンである。
環境危機は、大きな物語を復活させる。
イデオロギーを復活させるわけではない。
人びとを「人類」という連帯の輪に結びつける、大きな価値観を生きざるをえなくなるのだ。 ‥‥‥
環境危機も、人びとの団結 (人類の連帯) をうみ出す点で、イデオロギーと似ている。
でもそれは、無理やり人びとにドグマを信じさせるのとは違う。
誰もがめいめい、「どうやら地球が温暖化している、このままではまずい」と、共通の見通しをもつ結果である。
科学的根拠にもとづいて、地球温暖化の事実を認識しているのだから、イデオロギーとは言えないのだ。
ほんとうに、地球は温暖化しているのか?
環境NGOや一部の人びとが騒いでいるだけで、証拠がないじゃないか?
と、疑うひとがいる。
疑い始めればきりがない。
そうやって果てしない議論を続けているうちに、温暁化が進んで手遅れになったらどうするのだろう。
この問題を、責任ある人間なら、つぎのように考えるべきではないか。
大事なのは、地球温暖化は本当なのかという、科学的「真理」の問題ではない。
かなりの可能性で恐るべき事態が迫っており、それを避ける方法があるとき、断じてそれを避ける方法をとるべきだということだ。
これは生き方、態度の問題だ。 ‥‥‥
環境危機をまともに受け止めるとは、それを認識することにとどまらない。
温暖化を食い止めるのに必要な行動を起こすことだ。
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支離滅裂を含めて,イデオロギーのエッセンスが揃った好い例である。
イデオロギーは,「大きな物語」「人びとを連帯の輪に結びつける大きな価値観」を欲しがる。
イデオロギーは,ひとをそれに向かわせるものとして「危機・悪」を用いる。
危機・悪は,誰にでもわかることだとする。
そして,「認識だけでなく実践に進め」を唱える。
実践の精神・態度を強調する。
異論は,「手遅れになったらどうする」で却ける。
古い世代は,革命イデオロギーと同じじゃないか,と思っただろう。
そう,イデオロギーは革命イデオロギーなのである。
革命でどんなことになったかを,死んだ者,人生を台無しにした者の数と併せて,想うべし。
引用文献
- 橋爪大三郎 (2007) : 環境危機と「大きな物語」の復活
『諸君!』, 2007年7月号, 文藝春秋. pp.193-201.
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