Up | 生活場バックアップ | 作成: 2024-02-14 更新: 2024-02-14 |
バックアップの大事と比べると,「セキュリティなんかは二の次」となる。 物はいつか必ず壊れるからである。 失ってしまってバックアップをとっていない状況は,恐怖でしかない。 これが自分だけのことなら,ここまで築いてきたことの大変さを思うと,ゼロからやり直す気にはなれない。 呆けるばかりとなる。 バックアップは,軽い順から,つぎのようになる: ソフトウェアを失ったら,バックアップしていたものをハードディスクにコピーする。 あるいは,ハードディスクを,ハードウェアバックアップしていたハードディスクと,交換する。 あるいは,コンピュータを,ハードウェアバックアップしていたコンピュータと,交換する。 あるいは,システムを,ハードウェアバックアップしていたシステムと,交換する。 復旧の確実さは,下に行くほど増す。 何が不具合なのかは,そのときは実際にはわからないからである。 どの方法を採るかは,コストとのトレードオフである。 例えば,システム運営をビジネスとする企業は,システム全体のハードウェアバックアップに金を惜しむわけにはいかない。 システムに不具合が生じたら,即座にシステムを切り替えるという体制をつくっている。 システムを止めないことが最優先。 「不具合を直すためにシステムを止める」という選択肢は無い。 銀行や交通機関でしばしばシステム停止があるが,あれはバックアップが追いついていないことが理由である。 単純にシステムを切り替えると,この時間差の間に累積したデータが捨てられてしまうことになる。 ひとは,「自分の生活のバックアップをもつ」の概念を持たない。 バックアップを持たないので,いまの生活を失うと,茫然自失になる。 そして「防災」のことばが,世の中をミスリードしている。 災害は,防げない。 災害は,いつか必ず来る。 災害は,防ぐものではない。 災害は,それをうまく切り抜けて生活を失わないようにするというものである。 本テクストが主題にする「非難民生活」は,生活のバックアップのことである。 「生活を失って茫然自失」にならないための,生活のバックアップである。 このバックアップは,「生活のコアな部分のバックアップ」である。 何を「コア」とするかは,ひとそれぞれの事情・考え方になる。 これは本論考の立ち入るところではない。 ただし参考のための一例として,「インターネット接続」を取り上げておくことにする。 「インターネット接続」を生活のコアな部分にしていることは,現代人全般に通じていることだからである。 |