Up 数概念の人類史的変遷についての考察
──社会的シェマの学習に関する研究を目的として
作成: 2012-08-29
更新: 2012-09-19



  • 第14回数学教育論文発表会, 1980-11-25(火), 26(水), 筑波大学文科系修士棟
  • 発表:11/25(火), 10:30-11:00, B会場
  • 論文集 pp.B1-6



数概念の人類史的変遷についての考察
──社会的シェマの学習に関する研究を目的として ──


筑波大学数学研究科 宮下英明


研究の位置づけ

学習内容の展開の問題は,思考・行動シェマ(概念を含む)の形成の問題と密接に関わっている。 何故なら,各シェマの教授は,学問的な系統に対する考慮とともに,当然,子どもの側のレディネスに応じた指導ということを念頭において考えられなければならないからである。 しかし,シェマ形成の研究は,もし,問題とするシェマが社会的シェマにほかならないということの認識が研究に方法論的に組み込まれているのでないならば,全く観念的なものとなるおそれがある。

例えば,子どもの数概念発達に関する Piaget の研究は,結論が最初から用意されたものになっている。即ち,Piaget は数概念を1対1対応構成と等値性の認識に還元して,子どもの数概念発達の研究をこれらに対する子どもの能力の記述にかえているのである。 しかし,数概念を1対1対応構成と等値性の認識に還元することは,数学的な(しかも集合論的な)数のアイデアに範をとっているに過ぎず,われわれの意識対象としての数,つまり社会的概念としての数,を分析してみせたわけではない。 Piaget は,数の社会的概念としての側面を完全に捨象する。 しかし,数概念形成の議論でかような捨象が許されてよい根拠は無いのである。 何故なら,社会的概念は,人間の認識が到達する必然のものではなく,歴史的及び文化的コンテクストにおいて相対的である認識様式に基づくに過ぎないからである。 このように,Piaget の数概念形成の研究は,数学的な方法に範をとった主観的な前提から出発するものであり,しかも結論はその前提によって予め決定されている。 したがって,かれの結論をそのまま算数科での数の指導にひきうつすことは,子どものレディネスに応じた指導を保証しないばかりか,却って,学問的なある系統に直接もとづいた内容的指導を試みることに他ならないのである。

筆者がここで強調しようとするのは,人間のシェマが社会的なシェマに他ならないということである。 即ち,人間のシェマは文化の蓄積によって生ずることのできた歴史的な産物であり,一個の人間の一般的知力の転移によって獲得されるものではあり得ない。 したがって,社会的シェマの形成は,そのシェマ自体が学習対象化された学習である。 更に筆者はここで,その学習が必然的に,シェマの歴史性,つまりそれの成立過程の如何,に関知しないものになるということを強調したい。 このことは,シェマが歴史的経過から一応独立した構造をもつことに基づいている。 筆者はここに強調した二つのことを一般論として確証していくことを,一つの研究課題としてもっている。 この課題の重要な意義は,従来何気なく言われてきた子どもの '自然な' 発達ということが,社会的コンテクストに依存するものとして,全く新たに考え直される契機を与えるということにある。 何故なら,《社会的シェマの形成はシェマ自体が学習対象化された学習に他ならず,しかもその学習は,必然的にシェマの歴史性に関知しないものになる》ということは,本質的に自然なシェマ形成も,本質的に自然な学習方法も,ともに存在しないということを意味するからである。

シェマ形成の研究に上述のような見通しを立てたいま,本研究は最初の課題,すなわち人間のシェマが社会的シェマに他ならないことを見ていくということ,にあてられる。 筆者は以前に拙稿 "子どもの空間認知と Piaget の 'topologie' についての一考察" (数学教育学論究36 (1980)) で,図形概念の社会的性格を示唆したことがあったが,本研究では数概念を具体的シェマとしてとりあげて,それが社会的シェマであることを少し詳細に示そうと思う。 この課題は数概念の歴史性を明らかにすることに還元されるから,ここでは数概念の歴史性の考究そのものが目的となり,しかも数概念の史的変遷因果的な解明に重点が置かれる。 筆者は,数概念の歴史や原始的な数概念に関する従来の研究の多くが事例の並列的な記述を超えていないことや,しばしば的外れと思われる観念的な解釈を下していることなどに,不満を感じてきた。 そのため研究では,事例を構成的に位置づけることと,実証的な方法にとどまって観念論を避けることが,特に留意された点である。 また先行研究を明示して批判的にとりあげることは敢えてしなかったが,研究にはこれらを念頭においた筆者の独自の展開を含めている。 しかし紙数の都合上以下では,数概念の変遷を簡単になぞってみるに留める。


数概念の人類史上の変遷

数概念の史的変遷に関する研究は,いわゆる未開社会の数概念を記述・分析する人類学的な研究の成果を活用するものとなる。 即ち,それは,人類学的研究で並列的に示された原始社会の数概念から,数概念の史的変遷を構成的に推理するのである。

数1と2のみからなる数システムは,原始的な数システムとして安定したものの一つであり,しかも最も原始的なものと考えられてよい。 このシステムの起源の解明は原始的な数概念の研究において最も困難な課題の一つであるが,それをここで保留するわけにはいかない。 というもの,シェマ形成とそれから派生する教材の系統性の問題を再び反省的な課題として顕点化しようとする目的においては,社会的シェマ (数概念を含む) の原初的な形態を解明していくことによってこのシェマの論理的手法に基づく分析・再構成のやり方を対照させて際立たせることが,有効な方法となるからである。 ところで,未開社会の数概念に関する報告には,あたってみることのできた限りでは,数1,2の起源の解明に十分なヒントを与えるものは存在しなかった。 そこで,筆者は,文法的範疇の数と数概念の応物性ということに注目して問題にアプローチすることにした。 この結果,到達した結論は,数1,2の起こりがそれぞれ 'alone' および 'pair' に準ずる概念であったということである。 但し,これらの概念は知覚プロパーに基づいて出てくる訳ではない。 例えば,'pair' としての2の起こりには,対をなすものの言及・伝達における特殊事情が深く関係している。 したがって特に,この段階では数は量的な概念ではなく質的なものである。

量的な概念としての数は,計数 (counting) の発生を契機とする。 最初に起こった計数は,全体から小部分を順次除去する操作のものであり,この対物操作のシェマが数概念になっている。 '2と1', '2と2', あるいは '1と1と3','3と3', '4と2と1' のように表示される原始社会の数は,本来このような計数法に応じたものである。 いま,この計数もそれに応じる数表示も,ともに組合せ的と称することにしよう。 原始社会に見られる組合せ的数表示法の多様性は,計数での対物操作が本質的に恣意的なものであるということを示唆している。 特に,組合せ的計数において注目すべきことは,全体から順次分離されていく部分は,必ずしも一定の個数の要素からなるものではないということである。 この現象は,原始的な心性にとっては,計数行程が同一の基本操作の反復として規則的になっているよりも,計数の各段階が個性的に顕れるようになっている方が望ましい,ということを示している。

しかし,計数の各段階を組合せ的方法を用いて個性的に顕していくという上述の計数法に数概念が基づくとき,意識対象化され得る数は,自ずと,著しく制限されることになる。 人類がこの難題を解決したのは,計数の尺度を案出することによってであった。 ここに計数尺度とは,ある感覚器官を通して直接認知・弁別の可能な具体物の集合体で,その各々が個別の数を表象する '目盛' となっていることで全体として (個)数を 'はかる' 尺度となっているもののことであるとする。

原始社会に見出される計数尺度には様々のものがあるが,周知のように,手 (あるいは,さらに足) の指が,最も一般的で,且つわれわれの数概念の契機となった計数尺度であった。 指を計数尺度とする計数 (簡単に,指計数) に応ずる数概念は,表象としての '指' の概念に他ならない。 指計数に応じる数詞は,(計数の過程でそれの発語によって全体から一つの要素を抽出しそれと同時に特定の指を押さえるという行為を対象化し確認を促すことができるために) 指操作あるいは指自体を表現することばであり,またそのために,必然的に5, 10 あるいは 20進法に基づいて展開されることになる。

計数行為が馴れによって半ば自動的なものとなると,計数場面での同時発語において今までの数詞の冗長さが顕点化し,そのために数詞の簡単化・省略化がなされることになる。 この過程は,数詞がもともとの意味をたどれない単なる記号としてのことばに化す過程であると同時に,数詞が計数行為から離れた独立の意識対象に変わっていく過程である。

数詞がこのように変質し,その系列を '名辞' の系列として記憶し再生することが可能になると,対象物を指しながら数詞を唱えていくのが最も平易で有効な計数法となる。 またそのために,計数で指を用いることは過剰な行為となり,実際やがて省略される。 そして数はここに遂に物質的な裏付けを必要としない (名辞としての) 抽象的な存在として意識対象化されることになったのである。


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