3.5 “問題”との対峙


     問題との対峙──即ち,“心”による“問題”の対象化──という事態は,つぎのように捉えられる:
      A person is confronted with a problem when he wants some thing and does not know immediately what series of actions he can perform to get it.
      (Newell and Simon,1972,p.72)

      A problem is a task for which:
      1. the individual or group confronting it wants or needs to find a solution;
      2. there is not a readily accessible procedure that guarantees or completely determines the solution; and
      3. the individual or group must make an attempt to find a solution.
      (Lester,1983,pp.231,232)

      A problem is a situation in which an individual or group is called upon to perform a task for which there is no readily accessible algorithm which determines completely the method of solution. ...
      ... any reference to a problem or problem solving refers to a situation in which previous experiences, knowledge, and intuition must be coordinated in an effort to determine an outcome of that situation for which a proceddure for determining the outcome is not known.
      (Lester,1978,p.54)
     ここでは,
      (a) 〈処理手続き〉 を既に持っているのに,それにアクセスできない
    ということが専ら強調されている。実際には,問題が(直ちには)解けない(“問題”である)理由は,(a) の他に
      (b) 〈処理手続き〉 が持たれていない
    でもあり得る。

     しかし,問題解決論のオリエンテーションでは,(b) の場合も (a) の場合と同様に問題解決に入っていくとされる。したがって,(b) は実際上 (a) の特殊と見なせるわけであり,(a) のみが強調されていることを片手落ちと見なす必要はない(註1)

     ここでの最も重要な論点は,“どんな行動をすべきかが直ちにはわからない”ということの機制である。

     実際,この論点は,問題解決機制論において本質的である。何故なら,“解決不能”に対する“解決の潜在力はあるがそれの発揮の仕方がわかっていない”という解釈(理解の仕方)は,極めて独特だからである。この解釈は,“問題は〈処理手続き〉によって解かれる”という解釈の裏返しである。その発想の元には,
      《know how は “accessible algorithm which determines completely the method of solution" で説明される》
    という理解の仕方がある。

     しかし問題解決機制論の現状は,“どんな行動をすべきかが直ちにはわからない”ということの機制がブラックボックスにされている,というものである(註2)。そしてこれが,問題解決機制論が踏み出す最初の一歩である。



    (註1) (b) は,問題解決能力形成論において論点になる。──実際,問題解決能力形成論は,“解釈の潜在力もない”状態から“解決の潜在力はあるがそれの発揮の仕方がわかっていない”状態への移行を論ずる論考である。

    (註2) 実際,AIでは,問題はコンピュータにインプットされるのであり,問題との対峙という局面を省略している。