Up 1.2 問題設定における論点先取について  


     わたしは,"教育は屍体の改造ではない"──即ち,《教育を,屍体に関接する事態ではなく,生体に関接する事態として捉えなければならない》──は論点になるだろうと述べた。"そんなことは自明で,はじめから論点にならない"と言われるかも知れない。しかし,"つもりと実際にしていることは違う"ということを銘記してかからねばならない。"教育は屍体の改造ではない"のこころは,"数学教育者は,生体を扱っているつもりで屍体を扱っていることがある"である。このように言えば,"そんなことは自明ではじめから論点にならない"という声は今度は少なくなり,論点とされるだろう。

     "生体−屍体"の論点は,簡単な議論では収まらない。実際,これの主題化は,"形而上学,合理主義,機械論等の下の囚われと,そこからの脱出の可能性"という哲学上の大問題を主題化することにほぼ等しい。したがって,問題への探究に先立ってこの論点を予め鎮めておくというやり方は,論の構成のバランスの上で問題がある。そしてそもそも,読者を引き止めておくことが困難になるだろう。

     しかしまた,この論点を見ないで済ますというやり方もとれない。"意味は差異において了解される"というのは本当である。わたしの探究は,この論点においてわたしが阻却しようとしている思考法との対照において,伝達可能となるだろう。

     そこでわたしは,"生体−屍体"の論点を問題探究の行論の各所に分散させるとしよう。そしてこれらを,いわばスパイラルに鎮めていくとしよう。