Up 3.1 "言語ゲーム"  


     数学教育の〈機能=関数〉(function)は,子どもの変容──但し,変容前の子どもと変容後の子どもの対として──を用いて述べられる。そこで,変容に関してのそのときどきの子どもが何であるかを捉える概念が,必要になる。わたしは,"言語ゲーム"の概念を用いるとしよう。

     "言語ゲーム"とは,言うまでもなく,ウィトゲンシュタインの謂う"言語ゲーム"である(註)。それは,
    《根源的なもの──探究の出発点になるべく根源的なもの──は,哲学の伝来の概念装置ではなく,われわれが生きているというこの現実である》
    ということを明確にするために導入された概念である。特に,
    《哲学者ならそこに規則の現前を読みたくなるようなわれわれの生活は,端的に"規則正しい"のであって,規則に従っているわけではない》
    ということが主張される。
    また"言語ゲーム"の概念には,伝来の哲学が形式や規則の網から漏れるとして排除してきたものを復権し,逆に形式や規則の方を阻却することが,含意されている。
    それは,意識の対象を境界がぼけているものとして引き受けようとする。それどころか,対象であるためには境界がぼけていなければならないと主張する。 要するに,"言語ゲーム"は伝来の哲学を文字通り逆さにするのである。

     おもしろいのは,このように逆さにしてみると,その方がむしろ自然に見えるということなのだ。翻って,逆立ちしていたのは伝来の哲学の方だったのではないかということになる。

     さて,わたしが考えたのは,子どもの変容をこの"言語ゲーム"のことばを用いて述べるということであった。即ち,子どもの変容を,ある言語ゲームの主体から別の言語ゲームの主体への変容として捉えようというわけである。そしてそれは,数学教育の機能=関数を,ある言語ゲームの主体を別の言語ゲームの主体に変容させるものと捉える,ということである。この内容については,一般論として特に展開すべきものはない。わたしは各論においてこの方法を具体的に示すことになろう。


    (註) Wittgenstein,L., Philosophical investigations, Basil Blackwell,1958.