Up 4.1.4 一般陶冶論としてのストラティジー論の特異性  


     今日の一般陶冶論は,問題解決論──特にストラティジー論──である。そしてそれは,表象主義に立つ一般陶冶論である。

     既に述べたように,表象主義は,常識的な一般陶冶──"一つを教えることが無限に多くのものを教えたことになる"──を理論化できない。したがって表象主義者は,自分の立場を貫徹するとき,"常識的な一般陶冶を自分は信じない"と言わねばならなくなる。

     この帰結は恐らく彼らにとっても不本意であろう。しかしこの"不本意"は,己れの理論の解体を表現するものに他ならない。表象主義者は自らの主義によって自己解体する。

     しかし"不本意"の後に来るこの結論──"自己解体"──は,"不愉快"に違いない。したがって,表象主義者に対してはむしろ,常識的な一般陶冶を信じない方向に進んでいると見た方が失礼がない。
    特に,表象主義者たるストラティジー論者の場合,
      《彼らは,単に常識的な一般陶冶を物足りないものと感じて"ストラティジー"の概念を導入したのではなく,この概念の導入で常識的な一般陶冶をも説明することを目論んでいる》
    と見なされるべきである。
    ストラティジー論者は,"転移"一般を"ストラティジー"の言葉で理解しようとする。それは既に述べたように,"似ている"の根拠を立てる考え方であり,そしてその根拠として形式を立てる考え方である。この考え方が,ストラティジー論を特異な──即ち,西欧的な考え方に染まっていないわれわれに"特異"と感じさせる── 一般陶冶論にしている。