因に,ウィトゲンシュタインは,“心の記述”と言うときの“心”に対し,“意識状態”と“傾向性”の区別を立てる:
私はまた,信じているということ,理解しているということ,知っているということ,意図しているということ,等々,は意識の状態ではない,と言いたい。 もし私が後者のそれらのものを差し当たり「ディスポジション」と呼ぶならば,ディスポジションと意識の状態の相違は,前者は,意識が中断したり注意がそれたりしても,中断しないということである。” (Wittgenstein,RPP,vol.2,§401)
... But suppose the word “beetle" had a use in these people's language? ── If so it would no be used as the name of a thing. The thing in the box has no place in the language-game at all; not even as a something ... .... if we construe the grammar of the expression of sensation on the model of 'object and designation' the object drops out of consideration as irrelevant. (Wittgenstein,PI,§293. Cf.PartII,p.207) |