コネクショニズムの主張には,AIを人間に似せたいという欲求と,人間の機能の実現のためにはAIを人間に似せる必要があるという認識が,交錯している。そしていずれによっても,計算主義──逐次処理型コンピュータの方法──が捨てられることになる。即ち,人間認知システムの制約に対応することができない(人間に似ていない)という理由で(註1),また,ある種の人間的な機能の実現には計算主義では追いつかないという理由で(註2),計算主義が捨てられる。 コネクショニズムが起こる前の認知科学においては,計算主義──人間に似ていないコンピュータによる“コンピュータ・シミュレーション”──が,機能主義によって合理化されていた。この合理化は,“計算主義では人間的な機能の実現には追いつかない;問題はシステムそのものの設計にある”ということが認識され,コネクショニズムが台頭するとともに,効力を失う。 コネクショニズムと機能主義は,《メカニズム指向対メカニズム閑却》という形で対立するのであり,《ボトムアップ対トップダウン》の形で対立するのではない。実際,コネクショニズムの実践には,ボトムアップとトップダウンの両方がある。 コネクショニストが考える情報処理は,“並列分散処理 parallel distributed processing (PDP)”である。そして,並列分散処理の実現として考えられているコンピュータが,所謂ニューロ・コンピュータである。 “分散”には,先ず“項目の分散的表現”: ここでは,コネクショニストの主張を以下のように要約しておく: (註1) 例えば,一つのことをなす処理のステップ数が人間の脳とコンピュータで著しく異なる,等。 (註2) 例えば,フレーム問題を惹起する機能。フレーム問題は,情報処理を記号主義/計算主義的に構想するところで起こる。人間(そして動物一般)において“フレーム問題”が問題にならないのは,情報処理が記号(表象)計算ではないからである。実際,並列分散処理システムでは,それの思想により,フレーム問題を考えることができない。 |