5.8 人間の原理的不可知性


     PDPモデルは,反照的に,人間の原理的不可知性を示唆する。例えば,“進化の過程で獲得された学習メカニズムの上に,学習が可能になる”,“生物の歴史は,遺伝子(DNA)上の遺伝情報の変遷の歴史と見ることもできる”,“運動機能は,出生後に長い時間をかけて,脳が試行錯誤で学習してきたもの”といった一般的な言い方はできるが,各主題についてこれ以上のことは言えそうもないということが,示唆されるのである。
      “もちろん神経系の構造は進化によって発生してきた。しかし個体の一生のうちに起こる構造変化ではなく,進化そのものを復元しようとすると,われわれは変化のメカニズムについて,さらに僅かな知識しかもたない事態に直面することになる。・・・・生物的な進化にかかる時間は長大であり,一つの変化が生じるには百万年単位にわたるカップリングが必要である。・・・・

       人工システムの場合は,進化がそのような遅いペースで進む必要はないという議論がたまに見られる。内部操作は神経系の場合よりはるかに速く,何百万もの「世代」が一日のうちに生産できるというのがその理由である。しかしこれは二つの点から間違っている。先ず自然は直列的に働くわけではない。[個体発生として]高レベルの生体組織が発生するには何日,何年とかかるかも知れないが,[系統発生として]何百万もの個体が同時に同じプロセスを通過するわけである。この高度の並列性をもってすれば,多少の速度向上など問題にならない。より重要なのは,進化が機械の計算速度で進むという見方が,構造的カップリングという基本仮定を無視している点である。生体が媒体に即して生存するための変化が生じるには,その変化が生体の機能に効果を及ぼすための時間が必要である。進化の過程はカップリングが生じる速度で進むのであり,個々の内部変化が生じる速度で進むのではない。・・・・

      われわれが作り得るどのようなシステムでも,進化による変化(あるいは学習)によっては,人間はおろか,ミミズの知能レベルに達することもほとんど考えられない。

      (Winograd and Flores,1986,pp.167,168)