「教育=情報デザイン」のシステム考 (1)
──マルチメディア・コミュニケーションの情況──

北海道教育大学教育学部付属教育実践研究指導センター紀要, no.14 (1995,3), pp.29-37


「教育=情報デザイン」のシステム考 (1)
──マルチメディア・コミュニケーションの情況──

On the System of Education-as-Information-Designing (1)
: The Situation for Multimedia Communication


宮 下 英 明
(北海道教育大学岩見沢校)

Hideaki MIYASHITA
Iwamizawa Campus, Hokkaido University of Education

キーワード: マルチメディア,ネットワーク,情報デザイン,コミュニケーション


はじめに
 情報化社会=マルチメディア社会への移行を展望して,「情報」について三つの問題領域が立てられる。即ち,
 (1) 情報処理システムのアーキテクチャ,
 (2) 情報処理システムの運用技術,そして
 (3) 情報処理システムにのせようとしている
    情報そのもののデザイン
である。
 「学校の役割分担」という形で言えば,(1) は工学部的アプローチで (2) は情報専門学校的アプローチと言える。(3) はどうか。わたしは,教育学部的アプローチであると言いたい。実際,「教育」の営みは教材研究と授業設計であり,そしてこれらは「情報デザイン」に他ならない。
 「教育」を「情報デザイン」と捉え直すことには,「教育」としてなすべきことを明確/単純化し,かつ現前の教育風景を相対化してしまう,という意義/効用がある。
 伝えようとしている情報が何であるかを問い,相手に受容されるように情報をデザインすることが,教育である。(注意:「情報をデザインしてこれを示す」というのではない。「示す」もデザインされる情報の内容である。) そして「情報デザイン」の発想の下では,情報は「異なる仕方でデザインされ得る情報」という形でそのありようを相対化されてしまう。
 デザインは,実現された限りで「デザイン」である。そしてこの文脈でデザイン・ツール,デザイン環境,コミュニケーション環境が問題になり,さらに「デザイン」の時代性に思い至ることになる。そして今日,「情報のマルチメディア化」が「情報デザイン」の時代的課題である。即ち,「情報のマルチメディア化=マルチメディア・コミュニケーションの実現」が「教育=情報デザイン」の課題の今日的展開である。
 マルチメディア・コミュニケーションを実現する「教育=情報デザイン」システムを主題化しようとするとき,「システム」には,教育システムも,そして社会体制までも射程に入れねばならない。射程のこの広大さは,ひとえに「マルチメディア」という主題の大きさに因っている。──実際この主題の本質は「社会システムの革命」である。
 「マルチメディア」の主題化は「革命」の主題化である。したがって,それは特に「教育革命」を主題化する。そして「教育革命」の主題化は,必定,「教育」研究の旧来のパラダイムの「革命」を要求する。
 「パラダイム変換」は通常「見方の変更」のようなイメージで捉えられている。しかし,「革命」が要求する「パラダイム変換」はそのようなものではない。「革命」は,これまで見られていたものを無くする。だから,「見方の変更」もなにもないわけだ。
 例えば,旧来のパラダイムでは「教育」のメディアは「学校」であり「教師」であった。「学校」,「教師」という媒体を当然視してきたわけである。しかし,この構図でさえも疑われてならない理由はない。
 現体制を前提にすることをやめるとき,教育機器レベルの「システム考」を行えるまでには先に済まさねばならない作業がある。「マルチメディア社会での教育」のビジョンを定めることはその一つである。本論考は,このような作業の一環と自らを位置づけて「システム考」をなすものである。すなわち,マルチメディア・コミュニケーションを実現する「教育=情報デザイン」システムの全体領域を確認しようとするものである。


I 情況

1 マルチメディア社会
 あたりまえの言い方になるが,「マルチメディア・コミュニケーション」はこれの実現環境の実現によって可能になるところのものである。そして,「マルチメディア・コミュニケーション」の実現環境は,「マルチメディア・コミュニケーション」を必須とする社会(システム)である。この近未来社会を,ここでは「マルチメディア社会」と呼んでおこう。
 「マルチメディア・コミュニケーション」は,マルチメディア社会の実現を見込む立場において初めて教育的課題になる。(見込みのないものを教育的課題にするのは,倒錯である。)そこで,「マルチメディア・コミュニケーション」を教育的課題として立てる者は,マルチメディア社会を実現しようとする者と共犯関係にある。これは非常に重要な点である。
 そこで本論考のスタートは,「マルチメディア社会」についてのわたしの見解表明である。
 なお,わたしはここでは,極めて楽観的で理想追求的なスタンスを敢えてとることにする。それは,「マルチメディア」を育てていきたいからである。「マルチメディア」は生まれたばかりである。これが「大人」でないという言い方で批判するのはつまらない。「マルチメディア」にわれわれがいま読みとるべきは,可能性である。(Cf.「電球」や「蓄音機」のデビュー。)

1.1 マルチメディア社会への変革のドライブ
 マルチメディア社会は,現在進行中の「産業革命」の結果である。色々な言い方によってこの「産業革命」の諸側面が顕示される──「情報革命」,「メディア革命」,「デジタル革命」,「流通革命」のように。
 ひとをマルチメディア社会へと向かわせるドライブは,詰まるところ,「高品位化と低コスト化の同時達成」を勝者の条件とする競争──企業生き残りを賭けた競争──である。マルチメディア化は,メディアの良質化として「高品位化」の要件となり,デジタル化=一元化として「低コスト化」の要件となる。
 常識では,高品位を狙えばコストが高くなり,低コストを狙えば品質が低くなる。「高品位化と低コスト化の同時達成」など,虫のいい話である。しかし,これが実現されるときがある。「産業革命」である。かつては,蒸気機関で産業革命が起こった。そしていまは「マルチメディア」で産業革命が進行している。
 「産業革命」のドライブは,体制の合理化である。人はマルチメディアの導入に選択権はない。端的に,導入させられる。そして,マルチメディアの導入で組織・体制の再編が引き起こされる。既存のカテゴリーの崩壊が起こる。「革命」の所以である。
 特に,マルチメディア社会は,さしあたり理想追求という形で実現されるのではない。しかしそれでも,理想追求というドライブは確実に効いている。産業革命が行き着こうとする「合理」が「生活の改良」として現れるのは,このドライブのためである。

1.2 理想の実現としてのマルチメディア社会
1.2.1 メディアのライフサイクル
 マルチメディア社会は,パワフルなコミュニケーションツールがパーソナル化する時代である。これは,表現の出来不出来が高機能なツールを持てるかどうかで左右される時代の終焉である。「高品位」はあたりまえになり,人を「高品位」で驚かすことはもうできない。表面的なものには人は直ぐに不感症になる。マルチメディア社会ではマルチメディアは透明化し,人の眼は内容に向かう。
 これは,メディア一般のライフサイクルのなぞりである。各メディアは,その登場において人を驚かせ,そしてこれを持つものと持たないものを差別化し始める。しかし,やがてこれは一般に降りていく。あたりまえのものとしてそれは透明化し,内容がおもてに出る。
 このライフサイクルで,つぎのことが起こっている:
 (1) コミュニケーションのパワーアップ
 (2) 個人のパワーアップ

1.2.2 自由の伸張
 マルチメディア社会は,「コミュニケーションのパワーアップ」と「個人のパワーアップ」の二点において,ひとつの理想実現である。
 ただもちろん,これらは環境の実現である。この環境を恩恵としてコミュニケーションをパワーアップし,個人のパワーアップをなすのは,各人の意志と才覚,実践である。
 要するに,実現されるのは「自由の伸張」である。これまで制約であったものの解消によって個人の可能性が広がり,個人の甲斐性がこれまでになく試されるようになる。──「個人の才能が開花する」と「個人の才能が開花する環境が実現される」の二つを単純に短絡しないよう注意せねばならない。

1.2.3 コミュニケーションのパワーアップ
 「コミュニケーションのパワーアップ」の内容は,「高品質化」,「高速度化」,「正確化」,「遍在化」等である。そしてこれらを実現しているのが,「デジタル化」,「マルチメディア」,「通信ネットワーク」である。
 「コミュニケーションのパワーアップ」は「サービスの機会均等」を実現する。コミュニケーションの次元で,地域間格差が解消され,「中央-地方」,「僻地」が無くなる。(機会の均等が実現されるサービスとしては,教育や医療がよく例に挙げられる。)物理的距離よりも時間的距離のほうが「遠近」の指標として優勢になるという傾向が,格段に進む。
 「コミュニケーションのパワーアップ」のもたらすものは,「新しい空間」というようにも要約できる。
 この空間を「物理的空間」に対置させて「仮想空間」と呼ぶむきもあるが,哲学的「身体論」の立場から言えば,「物理的空間」もまた一つの「仮想空間」に過ぎない。「空間」とはわれわれのセンサーが仮構するところのものである。センサーに依存して「空間」も変わる。そして「コミュニケーションのパワーアップ」は,新しいセンサー(コンピュータとネットワーク)の獲得として,新しい空間(サイバー・スペース)をもたらすわけである。

1.2.4 多様性の受容
 「コミュニケーションのパワーアップ」は,個人レベルでは「個の多様性の認識──自分という個の相対化──の強化」という形でも現れる。ネットワークの中のナビゲーションで,人は格段の他者と出会う。──そしてこの出会いは,自己発見と自己伸張の契機になる。

1.2.5 個人のパワーアップ
 「個人のパワーアップ」──「身体の拡張」──の内容は,
 (1) ツール/メディアのダウンサイジング・低
   価格化 →パーソナル化
 (2) パーソナルツール/メディアの高品質化・
   高機能化
である。パーソナルコンピュータとそのアプリケーション,情報端末,PDA(Personal Digital Assistant)等が,これを実現している。
 「ツール/メディアのダウンサイジング/低価格化 → パーソナル化」の意義は,「会社」の規模でこれまで考えられていた企業活動やプロのツール/メディアが,一般的個人のレベルに降りるということである。プロの占有物だったものが一般者に解放されるということである。

1.3 個人の傾性の変化
 ひとは,新しい種類の人間に生まれ変わるようにして,マルチメディア社会に適応していくことになる。実際,新しい社会は個人の傾性の革新を求める。
 メディアの革新は知識,理解,表現,学習の形態の革新を導く。具体的には,マルチメディアをそのまま飲み込むように理解し,そしてマルチメディアを吐き出すように表現するようになる。
 メディアがテキスト・ベースの時代には,絵画や音楽もテキストにおとさなければ安心できないという体質が形成される。伝統的に,教育もそのような傾向を助長(あるいはむしろ,推奨)してきた──「言える」ことを「わかる」こととしてきた。
 来たるべき「マルチメディア人間」はまた「ネットワーク人間」である。サイバースペースが彼らの生活空間になる。そして,ネットワークのオープンシステム的特性に対応する個性として,自由かつ創造的精神が醸成される。

1.4 仕事/学習と遊びの融合
 マルチメディア化の方向は,メディアがより「気持ちよく」,リッチでスリリングになる方向である。そしてこの方向に,わたしは仕事/学習と遊びの融合を予想する。──ひるがえって,仕事/学習と遊びの融合を,「マルチメディア化」に託す理想追求の一つのゴールと見なしたい。
 このことは,情報端末のありようとも関係している。即ち,それは通信機器と放送機器とゲーム機器が一本化したもののように予見されているわけであるが,この機能/目的の融合が仕事/学習と遊びの境界を渾然とさせるのである。

2 マルチメディア社会の学校
2.1 学校の淘汰
 「情報化革命」,「デジタル革命」,「メディア革命」のことばで表現されている現在進行中の社会変革の本質は,「産業革命」である。そして「流通革命」が,これの淘汰的性格を表現する言葉である。
 これまでの路線にバイパスが通ることで,その路線沿いの市街が旧市街化する。これが「流通革命」のイメージである。外からの力によって壊されるのではなく,生命線を切られることで自ら萎えてしまう。ただし,「萎える」であって「壊される」ではないので,それは減衰という形で長期に存続する。
 現前の教育システム/学校システムも,この「流通革命」から免れられない。情報はネットワークを通して学習者にダイレクトに送られ得る。ネットワークがいまの教育システム/学校システムのバイパスになる。情報流通の肥大したパスを省略できて情報を一般者に直接提案できるようになるとき,この情況が利用されないわけがない。
 このとき,バイパスがつくられたことでそのまま旧市街化してしまう学校に対し,そのバイパスを自分の根幹として取り込み自ら変わろうとする学校が現れる。そして後者が,「革命」を生き残り未来の「学校」になる。学校間でこのような淘汰が進行する。

2.2 マルチメディア社会の学校
 マルチメディア社会の学校は,ネットワークをインフラとして教育的情報の発信局かつデータベースであることを理由に「学校」である。土地,建物は「学校」の絶対的条件ではなくなる。「放送大学」や「遠隔教育」の概念をさらに押し進めて「クラス・オン・デマンド」形態の「オンライン・スクール(バーチャル・スクール)」も構想されてくる。それは,学習の時間,場所,形態が限定されない教授/学習システムである。──このようなシステムの上では,もはや「学習」とか「学生」といった概念が保てなくなる。「社会人教育」,「生涯教育」がこのシステムの上で自然に実現されてしまう。
 近未来のマルチメディア社会の学校では,いまの学校と比較して,学習者ははるかに大きな可能性を与えられる。それは,豊かな学習環境の提供である。ただし,この環境の中で大きく育とうとするかどうかはあくまでも学習者自身の問題である。この点をわれわれはよくよく留意せねばならない。
 実際,豊かな環境と機会均等の実現は,社会成員の同レベル化の実現ではない。ネットワーク社会は個人の自由を拡大する。そして,自由が拡大されたこの社会は,むしろ能力主義の競争社会であると考えるのが自然である。
 これまでの教育は,おおむね弱者救済主義的に行われてきている。そしてこのために,能力の高い者,やる気のある者が,わりをくってきた。「豊かな学習環境の提供」としての「マルチメディア社会の学校」では,彼らは制約されずに自己伸張に努めることができる。特に,マルチメディア社会の学校は「優秀な人材の育成」という課題に自然に応えるものになっている。
 学校に関しても「自由の拡大」が進行する。学校間の差異化の時代であり,多様な学校が出現する。

3 マルチメディアネットワーク
 マルチメディア社会のインフラとしては,デジタル映像技術,マルチメディアネットワーク,通信機器,アプリケーション(マルチメディア・アプリケーション,ネットワークアプリケーション)などが挙げられる。例えば,「通信機器」では,パーソナル通信のための基盤として「移動体通信機器」が顕著な主題になるといった具合である。
 本節では,このうちの「マルチメディアネットワーク」を特に主題化しておく。

3.1 新しいコミュニケーションチャンネル
 「マルチメディア」のことばで今日主題化されている「メディア革命」は,「コミュニケーション革命」である。ただし,マルチメディアは,この革命の内容の半分である。
 実際,コミュニケーションの課題を「コミュニケーションメディア」と「コミュニケーションチャンネル」の二つの課題に分けたときに,前者のソルーションが「マルチメディア」ということある。では,後者のソルーションは?──ここで「ネットワーク」の登場となる。
 「新しいコミュニケーションチャンネル=他者との新しい関わり方」──これが「メディア革命」という主題下での「ネットワーク」の意義である。

3.2 ネットワーク・トポロジー
 ネットワークの構造を表現することばは,「トポロジー(位相構造)」である。ネットワークでは,「近い-遠い」も「中心−周縁」もなくなる。(強いて「距離」のことばを使うとしたら,「アクセス-レスポンスの速さ」が「距離」のことになる。)
 「LAN-WAN」,「グローバルネットワーク」は,ネットワーク敷設の主題である。敷設されたネットワークは,使用の上では透明化する。(運用の都合ないし目的から「LAN」をたいていの場合見せるようにしているが,逆に言うと,ゲート設定の作為で「LAN」をだまして見せたり隠したりできるということである。)

3.3 グローバル・ネットワーク
 マルチメディア時代の情報通信インフラは,高速性と広域性を指向する。高速性はマルチメディアという重いメディアをやりとりできるための条件,そして広域性は「流通革命」のインフラの条件である。
 「流通革命」には二つの要因がある。「バイパスをつくる」と「これまで使われていなかった遠隔を使う」である。そして今日,「遠隔」といえば地球規模のことになる。そこで,情報通信インフラとは,地球規模での情報基盤,すなわち地球規模で張り巡らされた光ファイバーネットワークでなければならないというわけである。
 この「高速性」と「広域性」を現在望みうるレベルで実現しているものが既にある。すなわち,インターネットである。そこで,グローバル・ネットワークの今後の進化もインターネットの進化であると見なされている。

3.4 CATV
 ネットワークの現実的な進化の形は,「既存の発達」である。そこで,グローバル・ネットワークの進化はインターネットの進化と見なされている。そして,ローカルなネットワークの進化の方は,CATVの進化と見なされている。
(注意: 今日「ローカルなネットワーク」というとき,それはグローバルネットワークの部分である。特に,ローカルネットワークの進化は,全体として,グローバルネットワークの進化である。CATVの進化はインターネットの進化の一内容である。)
 CATVの進化の方向は,「ネットワーク」の視点からは,CATV同士がグローバルネットワークの下につながること,各家庭がCATVの受信世帯としてネットワークの端末になること,すべてのケーブルが光ファイバになることである。そして「サービス」の視点からは,双方向化すること,フルサービス化すること,特にCATVが通信と放送の両方を引き受けるという形で通信と放送の融合が実現することである。
 CATVで何ができるかを考えることは,マルチメディア社会のイメージを得る一つの有効な方法である。実際,マルチメディア社会の到来にそなえて現在遂行されている実験プロジェクトのうちには,CATVに関するものが多い。
 CATVの用途として今日考えられているものには,通信,放送,情報サービスの3タイプが認められる。
 通信系としては,テレビ電話,テレビ会議,遠隔医療,遠隔授業などがある。(CATV局が電話事業を行う──CATVを電話線として使う──ことが将来的に見込まれている。)
 放送系としては,TV放送,ビデオオンデマンド(特に,リアルVOD),ビデオゲームがある。「双方向」をセールスポイントにして,旧来のものと差別化しようとしている。
 情報サービスは,トランザクションサービス形態のもので,ガイド・広告,情報提供(ニュース,掲示板),電子ライブラリ・展示館(図書館,美術館),オンラインショッピング(バーチャル・ショッピングモール,電子カタログショッピング)などである。

4 情報デザイン
4.1 教育の課題としての「情報デザイン」
 マルチメディアの上に,情報の新しい表現が可能になる。特に,これまでメディアの力不足から諦めねばなかった表現が,可能になる。マルチメディアによって,はるかに豊かなコミュニケーションが実現される。
 「教育」という個々の営みは,今後,そしてそれからしばらくは,「マルチメディア・コミュニケーションの実現」という一点において互いに差異化されることになろう。「マルチメディアの扱いが企業の生命線になる」ことの特殊として,マルチメディアの扱いが教育企業経営の生命線になる。(言うまでもなく,学校も企業である。)
 「マルチメディア・コミュニケーションの実現」のための教育的課題は,情報のマルチメディア化を実質的内容とする「情報デザイン」である。

4.2 情報の革新
 マルチメディアの意義は,情報の良質化・高品位化である。既成のアナログ情報のデジタル化は,情報の処理や通信を飛躍的に効率化するが,情報を内容的に革新するものではない。マルチメディア社会の到来に備えてさまざまな実験が開始されているが,それらのほとんどは情報の「通路」や「流し方」に関するものである。「流される当のもの」──即ち情報──の革新の方は,ぱっとしない。
 「情報の革新」の中身は,具体的には,「情報の映像化」である。CGI(Computer Generated Image)として情報が作られる。
 CGIは既に生活に浸透している。CGIの技法に人が驚く時代は過去のものである。内容が問われる時代になった。メディアは好ましい方向に進歩している。あとは,われわれが情報の革新を内容的に実現できるかどうかにかかっている。

4.3 情報デザイン
4.3.1 映像情報
 情報のマルチメディア化の実質的中心は,映像情報の提供である。実際,映像情報の提供を目的とする形で,情報ネットワーク・インフラストラクチャを具体化してきている。

4.3.2 非在(ファンタジー)の創作
 3次元CGシステムにより,非現実の世界(特に,物理的制約から自由な世界)を現すことができる。無から有が生じたり,剛体をすり抜けたり,力学の法則に反する動きをしたり,といった演出ができる。本質だけの表示──無用なものの消去──は,現実の世界では不可能だが,CGでは可能になる。また,この非現実が,情報を制作する側と受け取る側の両方で楽しまれる。これは,「不可能を現出させる」楽しさ,「無いもので遊ぶ」(「在るもので遊ぶ」に対する)楽しさである。
 情報デザインは,非在の表現ということで,ファンタジーの創造・生産の行為である。
 ファンタジーの意義は,それが人にとってのリアリティを決めるということである。ファンタジーが,人の「知恵」の内容である。ファンタジーの豊かさが人の豊かさであり,自由なスタンスでファンタジーと関わりあえることが,「自由」ということである。

4.3.3 不可視の可視化
 不可視をわれわれの感覚器の限界として考えるならば,「不可視の可視化」は非在の創作ではない。コンピュータによる感覚器拡張のもたらすものの一つが,「不可視の可視化」である。特に,可視化(Visualization)はつぎに述べる実現(Realization)とは区別される。

4.3.4 形の実現
 教科の主題のデザインは,「形」のデザインである──ただし,「もの」に対する「形」。
 「形」と「もの」の関係は,「ものに形を見る」の言い回しに表現される。「形」は「もの」を使って示される。「もの」を使って可視化される。「形」のみを現わす(?)ことはできない。「形」の表現の方法はただ一つ,「在るものの上にそれを示す(ほのめかす)」である。
 「形」の映像は,「その形をしたもの」の映像である。この意味で,「形の実現」は「その形をしたものの実現」である。特に,「形の実現」は,「非在の創作」でも「不可視の可視化」でもない。
 なお,誤解はないと思うが,ここでは「形」の語を「外見」より広い意味で使っている。「機能」とかも,ここで言う「形」のひとつである。また,「もの」という語も,「事象・事態」も含まれる広い意味で使っている。(特に,ここでは「こと」という語の居場所はない。)

4.3.5 ものの描写
 「形」はものを使って示される。「形」の表現は,外見にはものの描写である。
 そこで,「形」の表現の困難は,つぎのことを相手に了解させるところにある。 すなわち,「形」はそれの表現に使っている「在るもの」ではない,ということ。──「自動車」という情報のデザインは,自動車のデザインではない!
 また,「形」の表現としての情報デザインの問題は,もののどのような現れを描くことが「形」を相手に伝えることか,である。
 例えば,飛行機の設計図を示すことと,飛行機が滑空している動画を見せることとでは,伝えようとしている「形」が違うわけである。

4.3.6 シミュレーション
 情報には,シミュレーションという形の受容が最適となるものがある。
 シミュレーションの一デザインとして,ウォークスルーがある。(これは,没入感実現の一方法でもある。)必須ベースは,3次元のリアルタイムCGで,「リアルタイム」が最優先事項。

4.4 期待する生活の特定
 情報デザインには目的がある。デザインにはある期待が込められている。すなわち,情報を受け手に得させることである事態が生じることを期待している。その「事態」は,相手が何かをしてくれる,相手が何かをする傾向性をもつ,理由を承知してその何かをする,という形で述べることができる。
 このように,情報デザインに際しては,情報受容のあとに続く生活──期待する生活──の特定が先行しているのでなければならない。情報自身からそれのデザインが導かれてくるということは,あり得ない。情報をいくら調べても,その中にデザインの答えはない。デザインは「期待する生活」から導くのみである。
 教育の場合には,情報受容によって相手が獲得するであろうと期待しているところの身体性のことを,「分かる」と表現している。そして,「分かる」の実現が「教育効果」である。情報デザインは,相手の「分かる」を実現しようとする実践である。
 また特に,デザインは相手依存である。「人にやさしい」,「人に冷たい」の違いも,相手依存から来ていることである。即ち,「人に冷たい」デザインも,ある人たち(例えば,専門的訓練を積んで機能主義的なデザインを有利に使えるようになった人たち)には優しいから現実的なのである。本当に「人に冷たい」のなら,それははじめから現れてくることはない。

4.5 情報デザイン能力
4.5.1 ストーリーテラー
 マルチメディア社会では,表現技術のプロがアマチュアに追いつかれる。プロとアマの制作環境に差が無くなり,メディアの力によって一般者の表現技術が向上することで,上手に描けることが特別な価値ではなくなる。そして,何を描いたかが人の評価するところになる。即ち,「描くものを持っている」という才能──ストーリーテラー ──が,これからの情報デザイナーには求められる。

4.5.2 創造性
 ひとを感動させるデザインの要素には,「よくできている」と並んで「新しい」がある。ひとは,良質なストーリーを求める一方で,斬新な(驚かされる)ストーリーを求める。
 デザイン機器が表現ツールとして一般に降りることで,デザイン機器のオペレータは特色を出せなくなる。あるいは,存在理由を示せなくなる。マルチメディア社会では,デザイン力とは創造力のことになる。「オペレータ」であることがあたりまえになる社会では,「クリエータ」が情報デザイナーの唯一のあり方である。

4.5.3 本質直観,構成力
 マルチメディア情報デザインは,素材的には,異なる表現形式のいわばコラージュである。したがって,表現の選択の幅の広さに圧倒されずに,全体をスマートに組織できる能力──素材の特質・可能性を見抜いて効果的に組み上げていく能力──が求められる。

4.5.4 企画力,営業力
 情報デザイン(プロダクトアウト)だけでは,まだ仕事の全行程の半分である。すなわち,情報の送出(マーケットイン)まで行って,仕事が完結する。この二つのコンポーネントは対照的である。情報のプロダクトアウトまではコンピュータが相手,そしてここからマーケットインまでは,人間が相手である。
 デザイン力と並んで,プロダクトアウト─マーケットインの全行程を企画する力,そして,マーケットインを実現する営業力が,求められる。

4.5.5 経営力
 情報デザインでは,広い意味での「経営力」──利用できそうなありとあらゆる潜在性に対して,それらを発現させる戦略を立てそして実際発現させる力──も要求される。

4.5.6 ビジョン,意欲
 情報デザインの仕事は,時代の役割を自ら任ずる者でなければ保てない。時代との関わりのビジョン,目的達成への意欲をドライブとすることで,情報デザインの仕事を保てる。(「好き」──マルチメディア作品が好き,制作が好き,デザイン機器が好き──では仕事は保てない。)