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娯楽メディア
メディアのポテンシャリティの認識とメディア開発の実践において,教育界は娯楽産業に遅れをとっています。そして両者のこの違いは,ターゲット(それぞれ,「生徒」と「消費者」)に対しとっているスタンスの違いに原因しているように思われます。
これまで教育界が「ターゲットは自分から離れない(“囚人”)」と当て込んでいたことは否定できません。これに対し娯楽産業は,「ターゲットは気まぐれであり,いまは自分についていてもいつ離れるかわからない(“自由人”)」という危機感を絶えず抱いています。そこで,向上を目指さずにはいられない。
しかし,教育界にもいまやターゲットを自由人と定めるべき時が来ています。これからの時代を「管理」で処していくことはできません。
何が変わってこうなったのでしょう。キータームはまたもや「メディア」であるように思われます。学校教育というメディアが,相対的に重く見られなくなってきているのです。これは,メディアの消費者がより良質で魅力的なメディアに目を向けるようになったということであり,より賢くなってきたということです。賢い者を管理することはできません。逆に,これまで管理ができてきたのは相手が十分賢くなかったから,ということになるでしょう。
「良質で魅力的なメディア」という言い方に,ひっかかりを感じるでしょうか? しかし,数学の指導で一般的に使われている教具,および教師が用意する教材を,想起して下さい。いまの時代では,みすぼらしさの方が強調されて見えてきます。
娯楽メディアは,教育を考える上での手本ないし示唆でありこそすれ,決して敵視すべきものではありません。今日娯楽メディアに教育メディアが圧倒されかかっている事態を,わたしたちは,教育界が非力であるというように謙虚に受け止めるべきです。娯楽はこれまでも新しい世界観を創出する役割を担ってきました。そして今日,それは世界経済の原動力にもなっています。
数学教育はメディアに関して娯楽産業に学ぶべきでしょう。そしてわたしの考えでは,さらに,数学の教授/学習メディアは娯楽メディアそのものへと変わらねばならないのです。
強調しておきますが,
「苦い学習内容を飲ませるためにそれを甘く味付けする」
ということではありません。この旧来の発想に対し,つぎのものを対置しようとしているのです:
「学習内容はもともと甘い;
飲む器具が貧しいので苦くなる;
甘いものが甘いままで飲める器具に変わらねばならない」