0.4 ノウハウの指導の不都合



 もちろん,現行の数指導での不都合がすべて“ノウハウの指導の不都合”なのではありません(註)。しかし,“ノウハウの指導の不都合”から外れる種類の不都合は,前者と比較すれば,末梢的なものです。

 ノウハウの指導の不都合は,つぎのものです。

 先ず,この指導は“何”を曖昧にして“何”から逃げているわけですが,これは結局のところ,学習者に曖昧を学習させようとしていることになります。曖昧なものは学習できません。慣れるのみです。実際,この指導は学習者の慣れで切り抜けようとします。しかし,慣れることのできない者(こだわりを持ち続ける者)が常におり,彼等は学習から疎外されます。そしてこの場合,こだわりを持つ者の方が正しい。慣れるとはこの場合騙されるということです。これがノウハウの指導の不都合の一つです。

 つぎに,ノウハウの学習は破綻を免れないということがあります。ある段階に進むと,数の使用は数が何であるかを知らねば理解できないようになります。学習は生成的でなければ保(も)ちません。ノウハウの学習は外延的であり,外延的な学習は早晩破綻します。 ちなに,慣れからやがて“何”がわかってくるということは決してありません。──例えば小学校の主題になる分数の割り算の使用の理屈は,大人でさえも説明できません。

 ノウハウの指導──外延的な指導──は,さらに,学習者に数学の学習法を誤解させます。そもそも,内包的に理解するというのが数学を理解する形です。諸結果が生成される核をつかむことが学習のゴールであって,諸結果を頭に詰め込むことではありません。しかし,このことを知っている生徒は驚くほど少ない。

 弊害は教師の方にも現われます。即ち,主題の本質を見過たせる教材をつくらせてしまうということです。例えば“単位分数”とか“仮分数・帯分数”は,分数の本義が“整数比”である以上,本来主題として起こる筈のないものです。



(註) 簡単なところでは,言い回しの混乱があります。例えば,対象式“3+5"(対象“3と5の和”を表わす式)が“足し算の式”と言い表されます。もちろん,“3+5”の中に“足し算”が存在しているわけではないし,これを“足し算に対して開かれている式”と読まねばならないわけでもありません。
 “9÷4=2あまり1”のような,文法の混乱もある。これは非文です。数学での“=”の文法は,両辺に対象式がくるというものです。“2あまり1”はもちろん対象式ではありません(それは何も表わしていません)。──ちなみに,現行では“=”を“同じ”と読ませる指導が希薄です。学習者は等式“3+5=8"(二つの対象式“3+5”と“8”の同値を表わす式)に対して,“3+5”は問題で,“=”は答えを求める促し(プロンプト),そして“8”が答えであるかのような印象を抱いています。