2.5.3 数/量の外延的実現
われわれは,《数/量の構成的定義が与えられたとき,数/量は外延的にも実現されている》と考えることにする。例えば,記号1,2,・・・・,9,0 を用いた自然数の十進生成法が与えられたことに対して,{1,2,・・・・,9,10,・・・・}のような対象化を許すことにする。
数/量は,“構成法を与える”という形で実現されるのみであり,“列挙”という形態の実践では実現されない。しかし,“列挙し尽くすことは不可能である”という言い方で“外延的な実現”を退けることはない(註1)。“列挙”と“外延的な実現”とを区別しよう。“列挙し尽くせない”という言い回しの主旨は,“外延的に実現できない”ではなく,“外延の記述は開いてしまう”である。
閉じた記述に向かおうとするとき,数/量の対象化は数/量の構成法の対象化である。われわれは,“数/量”の概念をこの形において把捉する。しかし,この立場に潔癖になることで外延的=集合的な対象化──特に,{1,2,・・・・,9,10,・・・・}のような対象化──に逡巡し言語行為を不便にすることは無用である。
実際,われわれは存在の事実の探求をしているのではなく(註2),存在のフィクションをつくっているのであるから。
(註1) 数/量の系は,ある構成法で導出される総体として,想念によって受容される。(超越的概念である“総体”を受容する仕方は想念である他ない。)そしてこの想念の内容をなすものは,構成法の外延の一部開示──構成法を適用して要素を何個かつくるデモンストレーション──である。本論考では,〈示す〉を〈外延的な実現〉の形態として十分なものであると考えることにする。
(註2) 例えば,“列挙”という行為を問われたらわれわれは困ってしまう。“列挙”は,五感に拠りどころを求めてもおかしいし,“痕跡”を規準にしてもおかしい。(口で述べた“列挙”は何を残しているか?)