2.5.2〈存在〉の問題化の阻却



 “数/量は実現される限りで存在する”と述べたが,このときの“実現”とか“存在”という言葉の意味は曖昧なままにしておかねばならない。ただし,この語の意味の探求が困難だからというのが理由ではない。

 一般に,われわれの言語行為は,生活上の効果によって正当化されるのであり,有意味であることによってではない。奇妙に聞こえるかも知れないが,言葉に〈意味〉はない。言葉を用いた行為の効用があるのみである(註)

 特に,“実現",“存在”という語に〈意味〉はない。実際われわれは,例えば,“周知の生成規則によって実現される自然数 1,2,・・・・,9,10,・・・・ はどのように存在しているか”と訊かれたら,面食らってしまう。

 われわれは《存在者 1,2,・・・・,9,10,・・・・ について語る》というスタンスをとる。これが“1,2,・・・・,9,10,・・・・ が存在する”ということである。



(註) 合理主義は,この効用の根拠として言葉に〈意味〉があることを求める。しかし〈意味〉があるから効用があるのではなく,端的に効用があるのである。