Up 量には内包量と外延量がある  


    「数は量の抽象」は,量を実体概念とするところから出発している。
    量には内包量と外延量がある」は,実体論として言っている。

    量には内包量と外延量がある」は,奇妙な発想である。
    「時速150km の汽車と時速100km の汽車は連結できない」の類の意味で,「速度は加法が立たない──内包量である」を言う。

    「数は量の抽象」では,数の和は量の和の抽象であり,量の和が実体としてある。
    量には内包量と外延量がある」の発想は,「量の和の実体」に考えを及ぼした結果であるようだ。 ──速度の和の実体に考えを及ぼし,「異なる速度の汽車の連結」に至り,そして「連結できない → 速度の和が立たない」になった,というように見える。

    しかし,ほんとにこんな考え方をするものかという疑問を,どうしてももってしまう。 なんとも幼稚な考え方であるからだ。
    しかも,「量には内包量と外延量がある」は,「数は量の抽象」論で必要とされる要素でもない。
    よって,ここでは「内包量・外延量が出てきた理由はわからない・どんな場面を想定しているのかもわからない」としておく。

    なお,数学では,量には和がある (和を定義しない「量」は,量ではない)。
    物理学では,速度の和を,あたりまえに計算する: 「時速150km の運動体の上を,同じ方向に時速100km で走る運動体の速度は,時速 (150+100) km。」
    密度も,(つまらない内容ではあっても,形式的に) 量にすることができる。──ここで密度の和を使うのは,つぎのような場合: 「ある鉱物の鉄の密度は kg あたり 2g で,銅の密度は kg あたり 3g。この鉱物の鉄と銅を合わせた分の密度は,kg あたり (2+3)g。」