Up はじめに  


    学校数学の「数と量」領域の指導は,やっかいである。
    理由は,その内容が数学になっていないからである。

    「学校数学が数学になっていない」というのは,奇妙に感じられるかも知れないが,歴史の悪戯といった感じで,このようなことは現に起こる。
    実際,学校数学をつくるのは,人である。 その立場に立った者は,自分の想っている「数学」で,学校数学をつくる。 その者のもっている「数学」が数学とズレていれば,数学の体(てい)をなしていない学校数学がつくられてしまう。
    そして,いったんつくられた学校数学は,おかしなところがあっても,変えにくい。 既にやってきてしまったことに対し,「あれはおかしかった」をいまから言うことは,なかなかできない。

    学校数学の「数」の指導内容は,「数は量の抽象」の立場でつくられている。
    一方,数学では,「数は量の比」である。

    戦後の数学教育の形成期に,「数は量の比」か「数は量の抽象」かの論争があった。 「割合論争」と呼ばれる。
    いまの学校数学におさまっているのは「数は量の抽象」であるから,このことから「逆算」すれば,「数は量の抽象」の方が正しいのでは?という気分が,この間,醸成されてきたことになる。

    しかし,「数は量の抽象」は数学ではない。
    これを数学として指導するとは,無理をするということである。
    実際,学校数学の「数と量」領域の指導は,ひどく無理をしなければならない。
    本論考は,このことを論じようとするものである。


    本論考は,「数は量の比」の数学を論ずる。
    この数学の素地が読者になければ,本論考を読むのはけっこうつらいかも知れない。 この場合は,『「数とは何か?」への答え』を先に,あるいは併行して,読んでみてほしい。

    本論考は,論点を拡散させないという理由から,「数は量の比」の数学の論にとどめる。 特に,指導内容にしたときの内容構成・指導法の話へと論を進めることはしない (これについては,論考を別に立てて行うことにする)。