Up | はじめに | 作成: 2011-11-17 更新: 2012-02-04 |
どういう意味で難しいのか? 「分数のかけ算・わり算」の授業の難しさは, 「分数のかけ算・わり算」の授業の難しさが《教授/学習内容に問題がある》タイプの難しさであることは,一般に知られていない。 これが問題である。 実際,このことを知っていないと,つぎが授業困難の理由にされてしまう: 教師は,「指導法」に解決を求める。 「うまい指導法がどこかにあり,それを自分はもっていない」というわけである。 生徒は,わからないのを自分のアタマのせいにする。 「わからないのは,アタマが悪いからだ」というわけである。 <わかるべきもの>になっていないものを<わかるべきもの>にして,教師も生徒もひとりで自分を苦しめる。 彼らは,「分数のかけ算・わり算」の現行の指導法に翻弄されているわけである。 この構造は,「理不尽」としなければならない。 理不尽は,正されるべきである。 そして,正すための第一歩は,「理不尽」を認識することである。 すなわち,「分数のかけ算・わり算」に苦しむのは自分のアタマのせいではない,ということを知る。 《喩え話・こじつけを数学 (合理) であるとして,これをわかろうとする》が自分を苦しめている,ということを知る。 これである。 「分数のかけ算・わり算」の現行の指導法は,指導の都合のよさから,<板にペンキを塗る>文章題を導入に用いる。 すなわち,「分数のかけ算」には,
この文章題を用いて「分数のかけ算・わり算の式」を引き出し,さらに「分数のかけ算・わり算のきまり」を引き出す。 「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるのは,ご都合主義からである。 これは,《喩え話・こじつけを数学に装う》である。 本論考は,これがどんなふうに《喩え話・こじつけを数学に装う》になっているかを行論する。 論考の趣旨より,行論はつぎの形になる:
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