Up | メソッドの決め方 | 作成: 2007-10-04 更新: 2007-10-08 |
このとき,つぎのことが問題になる: 1 は,「一つのメソッドは,個によって適否がある」という問題になる。 2 は,「あるメソッドを採用することは,個がどのように育つべきかを決めることだ」という問題になる。
例えば,宮大工の場合は,棟梁が弟子にかんなくずを示して「こんなかんなくずをだせ」が伝統的な指導法だという。 これは何を示しているかというと,つぎの2つの指導法は能力形成的 (アタマを含めてカラダ形成的) に違ってくるということだ:
B.「こんなかんなくずをだせ」 そして,宮大工の場合は,つぎのようになったわけだ:
実際,「ここは,こういうふうにするんだよ。‥‥」式は,保たない。 教える方にすると,きりがない。 学ぶ方にすると,カラダに入らない (片方の耳から入って別の片方の耳から出て行く)。
また,「ここは,こういうふうにするんだよ。‥‥」式は,主体性が育つ指導になっているかどうかが問題になる。 こうして,先の 1, 2 の問題に,さらにつぎの問題が加わった:
そして,これに「功罪」のものの考え方が加わる:
<功>には<罪>が表裏のようについている。 メソッドは独善的な趣で登場することが多いが,それは「功罪」を理解する力が弱いためである。 実際,ものごとの功罪を理解できるためには,長年の修行を積むことが必要である。 未熟な者にはできない。特に,若い者には難しい。 メソッドを決めるときは,上の1〜5のバランスを考えることになる。 特に,メソッドは,ケース・バイ・ケースで最適が考えられる。 ──「最適」とは,バランスの「最適」のことである。 「良い」という意味ではない。 こういうわけで,メソッドの決定は非常に複雑な思考作業になる。 まとめ: メソッドは,以下のバランスをとるという形で決められる:
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