Up 教師・生徒の意味理解の程度を見る 作成: 2007-10-13
更新: 2007-10-13


    メソッドに対しては,つねに反省的でいられることが重要である。
    では,「反省的でいる」とは,何を行うことか?
    「意味 (what, why) に対する教師・生徒の理解の内容・程度」を絶えず意識し,チェックする──これが行うことの一つである。


    学校数学は,意味 (what, why) を抜かす。 how だけでやる。
    意味抜きは,意識してやっているのではない。 「意味」の意識がもともとないため,意味抜きになってしまう──こういうことである。
    意味の問いを欠いた授業を行い,結果として,意味の問いを知らない人間をつくる。

    論より証拠,「数とは?」「関数とは?」「推論とは?」「行列とは?」「積分とは?」と問われてこれに答えることのできないのは,教員も同じ。

    what, why の問いは,もともと人間にとって自然なものではない。 ひとは,what, why の問いを自らに向けて行うことがなく,そしてこのような問いがあるということを知らない。
    ──実際,what, why の問いを興すのものは,学問である。 (この意味で,学校数学は学問を教えるものになっていない。)


    意味 (what, why) を抜かした学習 (how だけの学習) は,ある段階で先に進めなくなる。
    したがって,「成功した教育とは,意味を教えることのできた教育である」と言ってよい。

      特に,低学年での「高い平均点」の実現をもって「成功した教育」を標榜するのは,見当違いである。

    こういうわけで,「意味 (what, why) に対する教師・生徒の理解の程度」をつねに意識していることが,メソッドに反省的でいられるための方法になる。