Up | 現成論 | 作成: 2017-09-03 更新: 2017-09-04 |
「進化」の内容は,自己組織化による自己更新である。 「自己更新」の内容は,その時点のリーズナブルの実現である。 系は,瞬間瞬間,その時点でのリーズナブルを成している。 系の現前は,「現成」である。 数学教育学が科学にならないのは,この認識を欠くためである。 科学は,現前を「現成」と定め,「現成」の法則を探ろうとする。 一方,数学教育学は,現前を「欠陥」と定め,「改革案」をつくろうとする。 改革は「現成」の認識の上の改革なのであるが,数学教育学はこれをわかっていない。 「現成」の認識がないから,現前のとらえがどうしようもなく軽いのである。 系の現前は,系の生命力の現前である。 その生命力のもとは,系の中の個/種の多様性である。 翻って,系は個/種の多様性を実現しようとする。 数学教育学の「現成」に見るべきは,これである。 生物の進化は,個/種の多様性の実現である。 個/種の多様性を実現するために,自然は「選択」を用いる──「自然選択」。 数学教育もこれと同じである。 数学教育の進化は,個/種の多様性の実現である。 そして個/種の多様性を実現するために,数学教育は「選択」を用いる。 即ち,学校数学は,一般生徒が学習できる程度を超える内容に設定される。 進級は,生徒がだんだんとドロップアウトしていく過程である。 ヒューマニスト,平等主義者なら「選択」に反対するところだが,それは間違いである。 「選択」で起こっていることは,彼らが思っているような「特定種偏重」ではない。 起こっていることは,「個/種の多様化」である。 生物進化における「自然選択」は,《個が多様な仕方でニッチを求めることを強いられる》がこれの中身である。 個/種の多様化は,《多様な仕方でニッチを求める》のたまものである。 さて,得られたニッチは,結果的に「選択肢」であったことになる。 「選択」とは,「選択肢を択らせる」なのである。 <生きる>の敷居が低い系は,独占種を生む。 <生きる>の敷居が高過ぎると,ほんの僅かの種しか生きられない。 多くの個/種──即ち,多様な個/種──が生きることができるのは,この中間である。 そしてこの中間を実現するメカニズムが,「選択」である。 生態系は,この中間を実現しようとする──即ち,実現する方向に進化する。 教育も同じであり,現前はこの中間の実現になっている。──現前は現成である。 |