Up 「数学教育界の<主観>に対する免疫」の問題  


    世界は,多様な個すなわち多様な<主観>の集まりである。
    数学教育界も同じ。

    数学教育は,一つの複雑系である。
    この複雑に対応して,<主観>の交錯する相も複雑である。
    数学の知識・理解度,世界認識・歴史認識の内容と程度,学校数学観・教育観等々を互いに異にする個が,異なる<主観>として対し合う。 異なるメソッド/イデオロギーを以て,対し合う。

    数学教育の入門者は,先ず,このことをしっかり頭に入れておかねばならない。 さもないと,数学教育の世界に入って最初に出会った<主観>を,自分のすべてにしてしまうかも知れない。

    さらに,自分の前に現れてくる<主観>をその都度相対化できるように,自分をつくっていかねばならない。
    これは,「数学教育界の<主観>に対する免疫をつくる」という課題である。
    そして,免疫づくりの形は,<教科専門性と教養を身につける>である。

    教科専門性は,数学の専門性を含む。

    ここしばらく,小学校教員養成課程は,文系の学生が入る課程のように思われている。 そして,「自分は文系」の学生が,この課程に入ってくる。
    この学生は,数学教育のグループに配属になっても,数学の勉学を忌避する傾向が強い。 数学の科目を履修する意味を,「数学を勉強する」ではなく,「中学あるいは高校数学副免の法定単位数を揃える」にする。 したがって,単位が取れれば,わかっていなくても意に介さない。頭に何も残っていなくても,意に介さない。

    こういうわけで,今日,小学校教員養成課程の学生の多く/ほとんどは,数学教育界のさまざまな<主観>と渡り合うのに必要な免疫をもつようにならない。