結 語



 《“数/量”の主題探求》と題して本稿で論考してきたことは,おおむね“数/量”主題の一般論です。一般論に対しては各論があり,主題研究はこの両方でなります。

 各論の内容をなすものは,数/量形式の実現態およびそれの操作技術,そしてこれの応用実践です。例えば“自然数”では,
  1. 自然数の十進生成法とこれの上に可能になる計算法──《“足し算/掛け算九九”を用いる筆算》
  2. 個数や順番等の処理
が各論になります。

 本論考は明示的には各論に立ち入りませんでした。(各論の展開はさらに多くの紙数を費やし,しかも既存の言説と多く重複するところとなるからです。)その代わりに,各論の方向が示唆されるようには行論を配慮したつもりです。

 “数/量”の主題として本稿で示したところのものは,学校数学の“数/量”主題の内容そのものです。このことは十分強調しておきたい。わたしは,《学校数学の“数/量”主題を高い立場から解釈する》あるいは《学校数学の“数/量”主題の背後にあるものを明確にする》というスタンスで行論したのではありません。

 小学校算数,中学校数学,高校数学の違いは,基本的に,取り上げられる主題の違いではなく同じ主題の表現の違いです。実際,本質的に新しい主題の添加というものは,そんなにありません。特に,学校数学の主題のほとんどは,小学校算数科において既に与えられています。(この意味で,小学校算数は0から1への跳躍,中学校数学,高校数学は1から先の踏破というようにそれぞれ喩えることができます──小学校算数の難しさを性格づけることばは“跳躍”です。)

 そこで,《主題》研究のつぎに来るのは《主題の表現》──学習者に主題の受容を可能にさせる表現──の研究です。そしてこれは,教授/学習メディアの問題化になります。学習者に負担なく“何”──“いかに”に対する“何”──を扱うことができるためには,新しい教授/学習メディアが獲得されねばなりません。“現行”の改革は何よりも先ず教授/学習メディアの改革であり,単に既存のテクストに別のテクストを対置するというものではあり得ません。

 この課題はいまの時代になってはじめて見えるようになってきたと言えます。実際,メディアに応用可能な種々のテクノロジーの日進月歩をまのあたりにして,われわれはようやく,現行の《“いかに”を以って“何”に代える》指導法を というように捉えられるようになってきました。われわれは“新しい教授/学習メディアの獲得”を現実的な課題として打ち出せる地点にいま立っています。

 学校数学の主題を歪めざるを得なかった原因をテクノロジーの貧困に求めることで,新しいテクノロジーによって主題の直接性を保つというスタンスが立ちます。このとき特に,主題探求は“理論的研究”というレッテル貼りから免れます。

 “新しい教授/学習メディアの獲得”を継続課題として確認し,本論考を閉じます。