Up 学校教員が数学と疎遠でいる構造 作成: 2008-08-18
更新: 2008-08-18


    数学教育は,本来,教員が数学教育のメディアとして,数学と子どもの間に入る形になる:


    しかし,実際の学校数学では,つぎの構造ができあがっている:



    この構造の中で,教員は自ずと,自分が直接つながっているところの「教育委員会・指導主事」「教科書会社・教科書」のメディアになり,数学を自分にとって無用のものにしてしまう:



    実際,一旦教員になった者は,以降数学を自ら勉強することはない
    数学を自分にとって無用のものにし,この状態に安住する(註)
    この教員の意識は,つぎのようになっている:
      「指導内容は,自分が子どものときに修得したものである。
       いまになってこれについて勉強するところは,無い。
       問題は,これをどう教えるか (指導法) だけ。」
    こうして:
      小学算数の授業は,小学生がやる授業ごっこになる。
      ──なぜなら,主題理解に関しては小学生のアタマのままであるから。
      中学数学の授業は,中学生がやる授業ごっこになる。
      ──なぜなら,主題理解に関しては中学生のアタマのままであるから。
      高校数学の授業は,高校生がやる授業ごっこになる。
      ──なぜなら,主題理解に関しては高校生のアタマのままであるから。

    この構造は意識されにくく,また意識することがあっても改められない。 周りの教員全員がこうなふうなので,これに安住できるし,また,これに安住する姿勢でいる他ないわけである。 (ひとり別のスタンスで立つわけにはいかない。)




    註:教員は,つぎの問いに答えられない:

    1. 数には自然数,分数,正負の数,複素数,のようにいろいろあり,そして数には「×」がある。さて,「×」の意味は? ( 答え)

    2. 「2cm は何m?」の問題で「2÷100」が立式されるまでの推論を示せ? ( 答え)

    3. 中学数学にでてくる「1− ( − (−1) )」の三つの「−」のそれぞれの意味は? ( 答え)