Up 教員養成課程数学教育講座の場合 作成: 2008-04-17
更新: 2008-04-17


    「数学を教育する」という能力は,簡単に言うと,つぎの2つでなる:

    1. 数学の主題の知識・理解
      (<教えようとしているもの>をわかっている)
    2. 指導法の知識・理解
      (<こんな相手にはこんなふうに教える>をわかっている)

    教員養成課程の数学教育関連科目は,この能力を陶冶するものとして,構成される。 そしてこの科目構成に対応する形で,数学教育講座の教員が数学専門の教員と数学教育専門の教員を以て構成される。
    そこで,数学教育グループの学生のゼミ分属では,数学専門と数学教育専門に分かれることになる。

    ところで数学は,<ゼミを「研究」の場にする上で学生の側に必要となる能力>と<学生のいまの能力>との開きが大きい研究分野の一つになる。 実際,数学は「形式の論理的体系」の学であり,研究の前線に立つためには,相当の基礎学習を積むことが必要になる。
    そこで数学専門のゼミは,<ふだんより深く勉強する場>の立場に甘んじる格好になる──<「研究」を学習する場>になることは難しい。

    そしてこの事情は,数学教育専門のゼミでも変わらない。


    数学教育専門は,指導法 (<こんな相手にはこんなふうに教える>) を守備領域としているわけではない。 指導法は個々人の経験学であって,数学教育専門の教員も「自分が僅かに知っている経験学的断片を語る」者以上にはなれない。

    数学教育専門のゼミは,結局のところ,「数学の授業設計」の演習をやっていることになる。
    授業設計は,各論である。 ──実際,一般論はつぎを言えば終わってしまう:
      授業設計は理詰めで行え!
      (「理詰め」の内容は,各論になる。)


    各論では,数学の学力が学生の側に必要になる:

      学校数学の主題は,どれも本格的な数学である。 ただし,学校数学では,教育的理由から「ウソも方便」が使われる。
      この「ウソも方便」がどのようになっているかがわからねば,授業設計はできない。
      「ウソも方便」がどのようになっているかをわからせるものが,学力である。

    したがって,数学教育専門のゼミも,本来は,数学理解に比重をおくものになる。 そしてこの場合,(数学専門のゼミと同様の) <ふだんより深く数学を勉強する場>になる。

      しかも,学生相手には,指導法の細かい教授は (実効性の点から) 意味がない。 指導法は現場に出てからの学習内容としてよい。
      実際,学生に課す指導法は,つぎのものでよい (これがちゃんとできれば十分):

      1. メモを見ない
      2. 相手を見て話す
      3. ゆっくり話す
      4. 相手に聞こえるように話す