Up | 「順序」はつねに重要 |
少なくとも,数学・学校数学では,「順序にこだわるのは愚」を言う場面はない。 順序がつけられるとき,その行為に対しては意識的と無意識が区別される。 数学の行為は,意識的行為である。 数学の行為として行われた順序づけは,意識的行為である。
「順序にこだわるのは愚」を言う者は,だいたいが,積の立式に先立つ<構造化>のプロセスを考えていない。 すなわち,立式を<問題の直接描写>のように見ているのである。 積の式を立てるとき,「意識的な順序づけ」の概念をもたない子どもは,2数をただ並べる。 この「ただ並べる」は,「こだわらない」ではない。 「こだわるものをもっていない」である。 この子どもに対し,学校数学は「こだわる」を教えることになる。 しかしここに,「順序にこだわるのは愚」を言う者が出てくる。 これには大きく3タイプが考えられる: 「結果オーライで何の問題がある!」を言ってくる者は,A もあるが,特に B の場合である。 そして,<数は量の抽象>を立場にして積の説明を持てない者は,A, B もあるが,特に C の場合ということになる。 学校数学の教授/学習は,それでなくとも,いちばんの大事となる<意味>と<論理>がないがしろにされる。 「わかる (what・why)」をないがしろにしたところで,「できる (how)」をゴールにしてしまう。 「できる」が「わかっていない」を隠蔽するようになっている。(「意味」に対する無頓着) よって,「順序」のことでは,教師は生徒にきっちりと「こだわる」を教えるのが正しい。 ただしこのときの順序の論理 ( 『「かけ算の順序」の数学』) をきちんと伝えられることが前提なのだが,この前提がアブナイということが,ここで問題になってくるわけである。 |