Up 「かけ算の順序」の素朴な疑問が論争に翻弄される 作成: 2011-09-04
更新: 2012-01-08


    小学校教員は,算数の授業でつぎの問題を持つ:
     この文章題は,数2と3の積の立式をするものであるが,さて,立式は2×3,3×2のどっちだろうか?
    あるいは,どっちでもよいのか? ──どっちでもよいということであれば,どうしてどっちでもよいのか?
    あるいは,自分の子どもが算数のテストで<積の立式における2数の順序>のことでバツをもらってきたときの親も,同じ問題をもつ。

    この小学校教員・親は,いまの時代は,ネットの中に答えを求めようとする。 即ち,「かけ算の順序」で検索をかけるわけである。
    そして,雑多な文言の山を目の前にする。
    また,少し仔細に見ていく中で,この「かけ算の順序」はずっと論争されてきたテーマであるらしいということがわかってくる。

    そこで,どの意見につけばよいのか?という問題になる。
    そして,いちばん上位にいそうな者をさがす。
    上位にいる者は,大衆を「愚か」と言ってのける者であるはずだ。
    そこで,「あたまが悪い」の言い方で一刀両断する者に出会うと,様子見でこれに付き合ってみようかとなる。

    しかし,この方略はダメである。

    実際,「かけ算の順序」の問題は,学識がある程却って「あたまが悪い」という言い方ができなくなる。 学識は,問題の構造の理解と,《「あたまが悪い」という言い方が起こる精神構造・メカニズム》の理解に向かうのみである。 そして二つ合わせて,問題は「あたまが悪い」の話ではないということを理解するのである。

    こうして,「かけ算の順序」の新参者には,「かけ算の順序」の言説の状況・地理の解説が必要になってくる。 (本論考は,この解説をつくろうとするものである。)