Up 「かけ算の順序」の数学と学校数学 作成: 2012-01-04
更新: 2012-01-05


    「かけ算の順序」論争に対して適切なスタンスがとれるためには,<「かけ算の順序」の数学>を押さえている必要がある。 しかし,この数学は,学校数学/文科省に慣らされたアタマには,ひじょうに抵抗感のもたれるものになる。 しかも,この数学の要点になるところがまさに,抵抗感のもたれるところである。
    以下,<「かけ算の順序」の数学>受容においてクリアしていかねばならないステップを述べる。


    <「かけ算の順序」の数学>受容の最初のステップは,例えば「2m(メートル)」に対する「mの2倍」の分析を受け入れられることである。 この分析は,「ある量の何倍」の形の量表現から数を分離する分析である。

    「2m」に対する「mの2倍」の分析を受け入れられるとは,つぎを受け入れられるということである:
      1. 量を,ある量の何倍で表現する。
      2. 何倍の表現になるものが,数である。
    そしてこれを受け入れられるということは,自然数の先の分数,正負の数,複素数でも,これに対応する「量」および「量表現のしくみ」を考えられるということである。

    しかし,学校数学/文科省に慣らされたアタマには,「2m」に対する「mの2倍」の分析はひじょうに抵抗感のもたれるものになる。
    学校数学では,「2m」の分析は「1mの2倍」になる。 このときの「1m」は「mの1倍」へは進まない。「1m」が出て,分析の終了となる。
    本来なら,「1mの2倍」の分析の仕方に対しては,「1m」の「1」と「2倍」の「2」に異質な「数」を見て,どう折り合いをつかるかでアタマを悩ますところである。 しかし,「mの2倍」の形の分析に対する抵抗感の方が勝って,「1mの2倍」の考え方が択ばれるふうになる。


    <「かけ算の順序」の数学>受容のつぎのステップは,「m倍とn倍の合成」の考え方を受け入れられることである。
    「m倍とn倍の合成」を考えることは,「量のm倍のn倍」を考えることと同じではない。 「m倍とn倍の合成」は,数学では「作用/関数の合成」の主題になる。
    「m倍とn倍の合成」の考え方を受け入れられるとき,「量のm倍のn倍」は「量の<m倍とn倍の合成>倍」と見られるものになる。


    ここで,量 と数nに対する「のn倍」を, × n と表すことにする。

    <「かけ算の順序」の数学>受容の最後のステップは,「m倍とn倍の合成」の表記として「m×n」を受け入れられることである。 すなわち,つぎの式を「×」の文法を定めるものとして受け入れられることである:
    ( × m) × n = × (m × n)  (:量)  
    そしてこれを受け入れられるということは,自然数の先の分数,正負の数,複素数でも,つぎの考え方ができるということである:
      1. 「×」の文法を運用する。
      2. 「×」の文法を実現する形として,数の積の定義式を理解する。

    学校数学/文科省に慣らされたアタマには,このステップがいちばん抵抗感のもたれるものになる。 ──実際,このステップは,拒絶する者がほとんどというふうになる。
    学校数学は,数の積は「(1あたり量) × (いくつ分)」の抽象だと教える。 例えば「2×3」は,これの前に「(1皿あたり2個のリンゴ) × (3皿)」のような事態が存在して,これの抽象が「2×3」だ,ということになる。
    本来なら,「×」記号の前と後で数の意味合いが変わってしまうことに違和感を感じたり,数が3つ以上連なった (2×3)×4 ないし 2×(3×4) の式の意味づけにアタマを悩ますところである。また,「(1皿あたり2個のリンゴ) × (3皿)」の「×」は何だ?ということになり,「抽象」の論法に循環論法を感じるふうになる。
    しかし,「2倍と3倍の合成」の表記として「2×3」を受け入れることの抵抗感の方が勝って,「(1皿あたり2個のリンゴ) × (3皿)」の抽象」の方が択ばれることになるのである。