Up | おわりに | 作成: 2011-08-02 更新: 2011-08-06 |
「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」をかけ算と思っている者が,「かけ算の順序」で延々と論争できる。 「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」はかけ算ではない。 偽な命題Aに対しては,任意の命題Bで命題「AならばB」は真である。 かけ算でないものに対しては,どんな「かけ算の順序は‥‥」も言うことができる。 こういうわけで,「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」をかけ算と思っている者が,「かけ算の順序」で延々と論争できる。 「かけ算の順序」で論争する者は,かけ算を知らない者である。 自分がかけ算を知らないことを知らない者が,「かけ算の順序」で論争できる。 「かけ算」とは,数のかけ算のことである。 「×」は,数の系 (N, +, ×) を構成する要素であり,始集合 (定義域) が積集合 N×N で終集合 (値域) がNの関数である。 一方「2個/皿 × 3皿 = 6個」の「×」は,関数としては,始集合が<皿の枚数とリンゴの個数の間の比例関係>の集合と<皿の枚数>の集合の積,そして終集合が<リンゴの個数>の集合である。 「2m/秒 × 3秒 = 6m」の「×」は,関数としては,始集合が速さの集合と時間の集合の積,そして終集合が距離の集合である。 では,「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」の「×」は,関数としてどう定義されることになるのか? これを回収する数学を強いて求めれば,テンソル積というものになる。 「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」の計算は,テンソル積の計算ということで理屈が立つ。 「2個/皿 × 3皿 = 6個」「2m/秒 × 3秒 = 6m」の計算がテンソル積の計算ということで理屈が立つということは,「一皿2個では3皿で何個か?」「2m/秒では3秒で何mか?」はテンソル積の計算の問題だということではない。 「一皿2個では3皿で何個か?」は,倍の合成の問題として解く問題である。 「2m/秒では3秒で何mか?」は,比例関係を倍の合成に還元する問題として解く問題である。 「一皿2個では3皿で何個か?」「2m/秒では3秒で何mか?」をテンソル積の問題と定めるのは,循環論法になる。 「かけ算の順序」で延々と論争できるためには,「かけ算の順序」の数学に背を向け続けていなければならない。 そしてこの姿勢を合理化しなければならない。 よく見られる合理化の仕方は,「精神の自由」とか「学校数学は数学とは違う」である。 しかしこれらは,対比においてカテゴリー・ミステークをやっているわけである。 実際,「かけ算の順序」論争は,《数学に背を向けるのにどのような合理化の論法がつくられるか》を観察する格好の場になる。 |