Up 作成: 2013-03-09
更新: 2013-03-09


    本論考は,「学校数学教員」論を4部構成──修業論・救済論・攪乱論・養成論──で行っているうちの養成論として行うものである。

    学校数学教員の職は,この職の免許を取得して就く。
    免許の取得として行うことは,大学が開設する免許科目を履修し所定の単位を揃えることである。
    これは,大学教員が学校数学教員を養成する者になっているということである。
    「数学」に関わるところでは,専門数学担当教員および数学教育担当教員が養成者である。

    専門数学・数学教育担当教員が学校数学教員養成者であるということは,専門数学・数学教育担当教員に学校数学教員養成者としての資格があるということである。
    学校数学教員養成者としての資格があるとは,この場合,学校数学教員を養成する能力があるということである。

    専門数学・数学教育担当教員が行う学校数学教員養成は,<学校数学の授業力>の陶冶である。
    そして,<学校数学の授業力>の陶冶ができるということには,<学校数学の授業力>とはどういうものかを知っていることが含まれる。

    事実はどうか?
    大学教員は,これまでずっと,授業力が問われる存在である。
    ちなみに今日の大学は,「FD」の実績を謳うことを自身のPRと見るようになっている。

    なぜ,大学教員は授業力が問われる存在なのか?
    大学教員という職には,免許がない。
    大学教員は,特殊専門性でなっている。授業力でなっているわけではない。
    「大学教員」には,もともと「授業力」という含意はないのである。

    そこで,つぎの問題になる:
      専門数学・数学教育担当教員が行う学校数学教員養成は,
       ほんとうに学校数学教員養成になっているのか?
    本論考は,この問題を論じようというものである。