学校数学は,ひとがつくる。
反照的に,学校数学が現前する様態は,ひとの能力の程度を表している。
ひとは,数学の勉強に対する<術の修行>の見方をもっていない。
ひとの数学に対する見方は,<使えるようになるための勉強>である。
これは,ひとは<経済性追求>の考え方しかできないということである。
そしてどうしてこのようになるかというと,<経済性追求>の考え方はやさしく,そしてこれとは違う考え方は難しいからである。
註 : |
学校数学は,自身の意義を「数学的考え方 (mathematical thinking)」「数学的問題解決 (mathematical problem solving)」「数学的リテラシー (mathematical literacy)」のように述べてきた。
学校数学は,この種の看板を,およそ20年ごとに掛け替えるふうになっている。
「およそ20年」の意味は,一つの看板のライフスパン (「賞味期間」) がおよそ20年だということである。
新しい看板は,経済効果を生むためのものである。そして,やがて飽きられ,経済効果が落ち込むようになって,その一生を終える。
そしてこれとタイミングをあわせて,新しい看板に差し換える。
看板が新しくなっても,学校数学の意義の考え方ははずっと同じである。
すなわち,<経済性追求>である。
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