「修業等価」の論法は,「得は不得, 不得は得」「得は失, 失は得」である。
すなわち,つぎのようになる:
いまの数学の勉強 (A) は,「数学の勉強」になり得たかも知れない別の何か (B) をしていないことである。
Aの得は,Bの不得である。
Aが荒唐無稽,Bが数学だとしよう。
<Aの得> (学校数学が数学になっていない) と<Bの得> (学校数学が数学になっている) とでは,どちらがよいか?
どちらがよいかは,決められるものではない。
実際,<Bの得>は,不幸な「数学嫌い」への道であるかも知れない。
また,この先,個人によっては何かの契機でBの得に進むことがある (例えば,大学の数学専門コースに入って数学に出会う)。
そして,このときのBの得,すなわち<Aの得・Bの不得を経たBの得>は,<最初からBの得>とは,様相の違ったものになる。
すなわち,「荒唐無稽を参照しつつ数学を捉える」が立つ。
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