Up | 道具主義を退ける──「よいカラダづくり」へ | 作成: 2011-08-12 更新: 2011-08-12 |
「役に立つ」の意味を「学習した数学が道具として使うものになる」にするとき,学校数学は役に立たない。 では,学校数学はやめられるか? 「成長期に数学の勉強をやらないことは,考えられない」の実感がある。 この実感は,学校数学をやめたときに失われるものの大きさの実感である。 何が失われると思うのか? よい成長である。 よいカラダづくりである。 そこで,学校数学の「役に立つ」の立論は,「学習した数学が道具として使うものになる」はダメで,「よいカラダづくりに必要」でいかねばならない。 本論考は,これを行う。 ──道具主義を退け,「よいカラダづくりに必要」の立論を試行する。 |