数学がわかる形は,「<使うもの>としてわかる」である:
各主題の出自が,<使う>の文脈でわかる
理論の前提として立てているものが,<使う>の文脈でわかる
定義が,<使う>の文脈でわかる
定理が,<使う>の文脈でわかる
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註 : |
<使う>の無い自称数学は,「アブストラクト・ナンセンス」と呼ばれる。
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そこで,数学の「教える=わかる」は,
「数学を<使うもの>として教える = 数学が<使うもの>としてわかる」
である。
──実際,「数学を<使わないもの>として教える = 数学が<使わないもの>としてわかる」は,背理である。
そして,「数学を<使うもの>として教える = 数学が<使うもの>としてわかる」は,いわゆる「実質陶冶」である。
こうして,つぎの結論になる:
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