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カラダの不可知
作成: 2013-06-11
更新: 2013-07-09
「形式」は,カラダの事態である。
「形式陶冶」は,カラダづくりである。
カラダの事態である「形式」は,ことばにならない。──カラダとことばは対応しない。
ここに,「形式」をどう論ずるかという問題になる。
実際,論ずることは,ことばを使うことである。
《<カラダの事態>はことばにできないので,「<カラダの事態>をことばにする」を「<カラダの事態の表出>をことばにする」に代える》──これが「傾向性 (disposition)」の方法である。
<形式>を「傾向性」のことばにするとき,ことばは一般概念であるから,<形式>は「一般形式」の趣きになる。 「一般陶冶」のことばが「形式陶冶」の意味で用いられることのある所以である。