Up | <教える>の「当たり外れ」 | 作成: 2014-02-24 更新: 2014-02-25 |
授業は,授業から脱けることになった者にとっては,無意味である。 そこで,つぎのようになる:
<教える>は「外れ」である。 一方,「落ちこぼれ」に臆して<教える>を弱める方向に進むと,「学力低下」が現れる。 そこで,現前の授業は,「ついてこれない」を一定割合見込む格好になる。 実際,これが授業の均衡相である。 「基礎基本」の言い方がある。 これは,<教える>と「ついてこれる」を両立させたい,という願いのことばである。 さらに,「ついてこれない」をネガティブなことにすると,これも間違いとなる。 学問は,その威容に感銘を受け圧倒されてその道に志すというものである。 学問は,必死にならねばついていけないというものである。 このときの<教える>は,「必死」をつくるものでなければならない。 「必死」を遠慮することは,学問のため,学問を志す者のために,ならない。 こうして,<教える>の「当たり外れ」を判ずることは,いよいよ難しいものになる。 実際,<教える>は,「一斉授業」からは次第に離れることになるものである。 ──これが,「科目選択」の意味である。 |